2014年12月24日水曜日

ファッションで夢は叶う!?

 実は、私たちは常日頃から意識せずとも衣服の「後光効果」を利用していることがあります。いわゆる「TPO」を意識した服装をすること。良識ある社会人として、TPOを意識した服装をしなさいと教えられてきたはずです。つまり、場所をわきまえた服装をさえしていれば、それだけで「常識のある人だ」という好印象を持ってもらえるのです。だれもが服装が持つ効果をなんとなくは知っているわけです。
 アメリカ・スタンフォード大学の心理学部で行われた有名な実験があります。無作為に集められた被験者のうち、ほぼ同じ人数を看守役と囚人役の2つのグループにわけ、実際の刑務所を舞台にそれぞれの役割を演じさせました。役割に合わせた制服を着て。その結果、時間経過とともに、看守役は看守らしく、囚人役は囚人らしく、演技を超えたふるまいをするようになったそうです。映画化もされるほど衝撃的な実験でした。この実験では、いろいろな人間心理が分かったのですが、衣服が人に与える心理効果の大きさもそのひとつ。制服を着ることで人は役割を意識し、その役割通りの行動をしようとする心理が無意識に働くのです。まさに前述したナポレオンの「人はまとった制服のしもべとなる」。
 この心理的効果を意識的に活用できれば、とてもいい処世術になると思いませんか? じぶんがこれから会う人とどんな関係を築きたいか。どんな印象を与えたいか。目的を達するために人に与えたい心理的効果を明確にすれば、じぶんが着るべき服のテーマも見えてくるはず。たとえ、自分に自信が無くても、そこは「馬子にも衣装」です。服の力を借りて自信を持った自分を演じきればいいのです。

 人間心理と服の関係がいかに密接で複雑なものか。これから、じっくりと掘り下げていきたいと思います。

2014年12月19日金曜日

ファッションというコミュニケーションツール

 ヒトはおそらく、自然環境の変化に対応するために衣服を身につけるようになりました。やがて、社会形成がなされると役割分担から社会的身分というものが生まれ、着用する衣服にも役割が生まれた。立場や身分を相手に伝えるコミュニケーション・ツールとして服が利用されたわけです。
 603年、聖徳太子に制定されたとされる冠位十二階。役人の位を12に分け、それぞれの色も定めた制度です。冠の色を見れば、どんな立場の人でどんな役職の人か分かったので仕事もスムーズだったことでしょう。
 制服など付加価値のある衣服は、他者に心理的効果を与えることができます。たとえば、医師の白衣や警察官の制服に対し、「この服を着ている人物は信頼に値する」という先入観を人は持ちます。これら、人に対していい印象を与える事例について、心理学では「威光効果」と言います。
 堺雅人さんが主演した映画「クヒオ大佐」という作品があります。これは実在の結婚詐欺師がモデル。「自分はアメリカ人のパイロットでクヒオ大佐」だと名乗り、数人の女性から約1億円をだましとったのです。クヒオ大佐と名乗った男は髪を金髪に染め、軍服のレプリカを着ていたそうです。この事件でも「金髪」「軍服」の威光効果のほどが伺えます。

 人は自分が思っている以上に視界からの情報に左右されやすいのです。そして、視界から入ってくる情報が心地いいものであるほど、その情報源にいい印象を持ちます。「高級な外車に乗っている」「美しい姿勢である」「字がきれいである」などなど……。人対人の場合、「後光効果」のある衣服を活用することで人間関係の構築がよりスムーズになるはずです。

2014年12月10日水曜日

ドレスコミュニケーション  〜服は口ほどにものを言う〜

 「人は見かけが9割」という本が以前、話題になりました。「社会を支配しているのはノンバーバル・コミュニケーションである」とし、心理学や社会学など多彩な角度からノンバーバル・コミュニケーションについて語られています。
 「ノンバーバル・コミュニケーション」(nonverbal communication)とは、言語以外の手段で行われるコミュニケーションのこと。非言語コミュニケーションとも言います。おもに心理学で使われる言葉です。
 コミュニケーションの手段として人は言葉以外にも表情、言葉の抑揚、身振り・手振り、姿勢から服装なども用いています。これら非言語コミュニケーション・ツールは、人間関係において言葉以上に多くの役割を担っているとも言われています。たとえば「目は口ほどに物を言い」ということわざにもあるように。ノンバーバル・コミュニケーションはチャールズ・ダーウィンも研究していたそうです。
 ノンバーバル・コミュニケーションを利用して成功した著名人のエピソードは、たくさんあります。たとえば、アメリカ16代大統領のエイブラハム・リンカーンもそのひとり。彼は雄弁家で演説は上手だったそうですが、小柄で貧弱だったため、見ためがいまひとつでした。あるとき、リンカーンはひとりの有権者女性から次のようなアドバイスをもらったそうです。
 「あなたのポスターに口ひげを書いてみたら、大統領にふさわしい風格が出ましたよ!」。
このアドバイスによって、リンカーンはひげを伸ばすことにしたとか。
 アメリカの心理学者レオナード・ビックマンの有名な実験があります。電話ボックスにコインのお金を置いておきます。電話ボックスに入った人に「ここにコインが置いてありませんでしたか?」と、ある人物にたずねさせます。コインの有無を訪ねる人物の身なりは2パターン。Aはきちんとしたスーツの紳士。Bはヨレヨレで清潔感のない服装の男性。実験の結果、Aの人物に対しては8割の人が丁寧に対応してコインがあったことを教えてくれたとか。対してBの人物に対しては7割の人が怪しんで、コインの有無についても教えてくれなかったそうです。つまり、同じ言葉を発していても、見ための違いで人はまったく異なる情報を受け取ってしまうわけです。さて、今度、大切なミーティングがあるとき、あなたはどんなコーディネートで行きますか?

2014年11月26日水曜日

服によって形成される社会的人格

服を表す言葉はいろいろあります。
・「身につけるもの」では衣服、制服、私服、平服、洋服、和服。
・「体や心に受けいれる」では服用、服膺、頓服、内服、着服。
・「つき従う」では服従、畏服、敬服、感服、克服、征服。
・「つとめにつく」では服務、服喪、服役。
藤堂明保氏の「漢字語学辞典」によると、「服」は「舟+反」。舟べりは浸水しないよう板が隙間無く打ち付けられています。そして「反」とは「人+又(手の形を表す)」の変形。
「服」は、人を手で引き寄せ、そばにぴったりとくっつけた形。そこから転じて、人のそばにつく=服従の意味ももつようになったようです。
 ナポレオンの有名な名言のひとつは、
 「人はまとった制服のしもべとなる」。
人は着ているものどおりの人間になるという意味。実際、ナポレオンは自分が目をかけた部下には少し上の階級の制服を与えて人材教育をしたそうです。古来より、服には人を動かす効果があるという考えかたが存在していたわけですね。
 心理学で有名な「マズローの法則」または「マズローの欲求5段階説」。
人間の欲求は5つの段階からなり、生きるうえで重要な要素からピラミッド状の階層をなしているというもの。最下層には「生理的欲求」があり、食欲・睡眠欲・性欲などがあげられます。
ひとつ上の階層は「安全の欲求」で住居・衣服・貯金など。次が「社会的欲求」で友情・協同・人間関係。さらに上が「自我の欲求」で他人からの尊敬・評価・昇進。最上層が「自己実現の欲求」で潜在的能力を最大限に発揮して思うがままに動かす。
 低下層の欲求が満たされたとき、人はさらに上の階層の欲求が満たされることを望む……という人間心理を説明した理論です。
 このマズローの法則を人間と衣服の歴史に置き換えてみてはどうでしょう。人間にとって本能的な欲求が満たされたとき、まず「寒さ・暑さ」などから身を守るために何かを身にまとうようになった。その後、自分がどの地域に属しているか、どんな仕事をしているかなどの区別のために服を着用。さらに、シャーマンや支配者たちなどが社会的な階級を示すために、豪華絢爛な服を着るようになった。また、軍服などは人々から尊敬を集める象徴的な意味をもつ……。こんな流れを見ていると、服は人間の欲求に従って進化してきたようにも思えます。

 そうであれば、現代人は潜在的能力が最大限に発揮できるような服を求めている……と、いえるのではないでしょうか。ひとりひとりの能力は十人十色。他人と同じような服を着ていては、あなたの現実は何も変化しないでのは?

2014年11月12日水曜日

服を着るということ

 人は、いつから服を着るようになったか知っていますか? 
およそ7万年前からと言われています。
クロマニヨン人が出現したとされるのが約4万5000年前。
進化の途中にあるころから、ヒトは衣服を身につけるようになったわけです。
とはいえ、これはあくまで仮説。衣服の起源は未だに証明されていません。
なぜか? 衣服が化石として発掘されるケースがほぼ無く、繊維などは時間を経ると朽ち果てて痕跡が残らないからだそうです。
 どうしてヒトが服を着るようになったか。一般的にまず考えられるのは「気候の変化から身を守るため」「社会の中でじぶんの身分を他者に示すため」などです。つまり実用性や機能性からの発展。
 私は、もうひとつ「美しいファッションで着飾る快感」も加えていいと思います。
2005年に国立科学博物館で「縄文VS弥生 ガチンコ対決!!」という特別展が開催されました。そこで紹介された縄文時代の衣服が、実におしゃれ。黒に深紅の模様などをあしらった原色使いの服に、アクセサリーも多数。これら縄文ファッションには、現代と共通する美的感覚が見られます。(もちろん、この衣服もいろいろな考証に基づく推論が前提ではありますが)
 2001年に、北海道恵庭市カリンバ3号遺跡で発掘された縄文時代のシャーマンと思われる4人の人物の調査結果でが報道されました。袖がある衣服を着て、絹のような繊維で作られた布が掛けられて埋葬されていたそうです。副葬品には漆塗りの櫛や頭飾り、耳飾り、腕輪、腰飾り帯などが多数。国内で初めて発見された漆製品も含まれていたそうです(恵庭市ホームページ参照)。
 装飾品には魔除けなどの意味があり、おもにシャーマンなどの役目を持つ人物が身につけていたと思われています。
 弥生時代にはガラスが伝来し、ガラスを使った装飾品も作られるようになったようです。衣服は、前述の「縄文VS弥生」展によると白や淡い色を貴重としたファッションに変化したようです。
 身を守るためだけの服なら、模様をつけたりアクセサリーをつける必要はないはず。シャーマンたちが祭礼のために身につけたものだというにしても、一般のヒトがシャーマンの服を見て「美しい」など、何らかの感情を持ったことでしょう。そして、それはシャーマンたちが自分をプロデュースするうえでも意図したことだったと思うのです。つまり、美を賞賛するという感性が縄文時代にはすでにあったと考えてもいいのでは? 人と衣服の関係は、縄文時代にはすでに確立されていたとも言えます。
 次に、日本人と洋服との歴史をざっと見てみます。
 男性の場合、軍服など制服を採用することから洋装化が始まったようです。1864年の長州征伐において幕府が西洋式の軍服を採用。その後、1871年に軍や官僚の制服を西洋風にすることを定めた天皇の勅諭が発せられ、警官・鉄道員・教師などが制服や洋服を着ることになったようです。
 明治時代に政府は西洋化政策において洋服の着用も奨励したそうですが、一般人には定着しませんでした。日本人がふだん着として洋服を着るようになったきっかけは、太平洋戦争とも言われています。
 井上雅人氏は著書「洋服と日本人」で「日本人に洋服=近代産業社会的な身体をもたらしていったのは、国民服、標準服、もんぺといった軍国主義の産物であった」と述べています。
  また、1923年の関東大震災を契機とする向きもあります。このとき、和服を着ていた女性が逃げ遅れるケースが多かったことで、有事の際にも動きやすい洋装化のスピードが速まったとも。1927年、銀座三越で国内初のファッションショーが開催されたことからも、人々の洋服に対する関心の高まりがうかがえます。
 そして、第二次世界大戦後。

 アメリカをはじめとする欧米文化への憧れ、闇市で売られるアメリカの古着の購入、手入れのしやすさ、動きやすさ、職業婦人の象徴として。などなど……。さまざまな時代の要因が絡まり合い、洋服は広く一般女性に着られるようになり、やがてふだん着として定着していったようです。第二次世界大戦の終戦は1945年9月。一般的な日本人が洋服を着るようになったのがそれ以降とするなら、たかだか、70年ほどのおつきあいになるわけです。
http://www.city.eniwa.hokkaido.jp/www/contents/1370232374613/index.html

2014年10月22日水曜日

「ファッションコミュニケーション 対話する服」

「ファッションコミュニケーション 対話する服」を書くにあたって


 私は、かれこれ30年にわたりファッションマーケティングを生業にしてきました。
おもな仕事は1〜2年先のファッショントレンド予測にはじまり、商品が店頭に並ぶ18か月前の素材開発、12か月前の商品開発、6か月前の小売業の品揃えのサポートなどなど。
 そして、企業や大学でファッションの知識・カラー・VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)にまつわる講座も開いています。

 1〜2年先のファッショントレンドを予測するとき、私はまず、時代の背景から感じとれる空気感をよみます。そして、そのイメージを言い表すキーワードや視覚化できるビジュアルをたぐり寄せます。
これらをコラージュマップにまとめ、テーマカラーを抽出するとともにテクスチャーから素材を選択。
 次に、抽出したカラーと選んだ素材を使って、次のシーズンのファッショントレンドを予測するスタイリングマップを作成。ファッションのスタイルを構成するシルエットやアイテムの特徴が表現されたこのマップが、商品開発や品揃えの方向性を決める指針になるのです。これらのマップは時代の気分をファッションに置き換えて映しだす鏡のような物です。

 この仕事をしていて、ファッションには時代を、もっと言えば時代を作りだしている人々の心の動きが大きく関わっていることを実感してきました。
 ファッション・トレンドにしてもしかり。そして個人のファッションの好みにしてもしかり。
人の社会性の基本は服を着ることであり、顔以外の9割がファッションで覆われています。
なぜ、その服を選んだのか? なぜ、その服を買おうと思ったのか? なぜ、今日その服を着たのか?
ファッションには、意識していてもいなくてもその人の気分や感情、自分を「こう見てほしい」という思惑、自分が「こうありたい」という願望などが映し出されているのです。つまり、人は無意識にファッションでコミュニケーションをはかっているわけです。

 30代半ばのとき、自宅がある芦屋で阪神大震災に遭遇しました。この経験から「有事の際に、ファッションは不要だ。もっと人の役に立つことはできないものか」と思い悩む日々。
 そして、「何かあったとき、人の痛みを軽くしてあげたり、元気にしてあげることはできないか?」という気持ちからコミュニケーションのための心理学の道へ。以来、カウンセリングやコーチングについて学んできました。
 30年間ファッションを見つめ続けるとともに、20年近くコミュニケーション心理学を学んできた私がたどり着いたのが「ファッションコミュニケーション」というフィールド。そしてファションとコミュニケーションを合わせた独自のファッション論を構築するようになりました。

 もうひとつ、本を書きたいと思った理由があります。
それは、最近の日本のファッションに「ちょっとおかしい」「ちょっと違うよ」という疑問をたくさん持つようになったからです。
 たとえば、いま日本に蔓延するファストファッション。2000年代半ば以降、一気に世界的トレンドとなり日本の市場をも席巻したのはご存知の通り。1990年前後から始まった日本のバブル崩壊がファストファッションの追い風にもなりました。
 とはいえ、インナーなどの消耗品ならともかく、大量生産の安い衣料品で全身をコーディネートし、その現状に満足するのはいかがなものか。

 ファッションデザイナーの丸山敬太さんは、ある講演で次のように語っています。
「僕はこの世には2つの服があると考えています。ひとつは“用を足す服”。たとえば、スポーツをするための服やビジネスの場面で着る服など、なんらかの目的や用途を満たす服です。僕が創りたいのはもうひとつの“心を満たす服”です。人生には大切な服、使い捨てではない“心を満たす服”が必要だと、僕は考えています」と。そして、また「最近はファストファッションが溢れていますが、“用を満たす服”を“心を満たす服”の代替にはしてほしくないと思うのです」とも言っています。私も心から同感します。

 「人は見ためが9割」という本がベストセラーになりました。たしかに相手が初対面であれば、まず外見から判断しますね。ファッションは自分自身をまわりに語るメッセージのひとつなのです。
安くてトレンドの服を着る。そんな横並びのスタイルで、何が伝えられるでしょうか。
 そして、私はファストファッションには次のような弊害があると思っています。それは、なんとなくトレンドに乗っているような安心感とベースにある使い捨て感覚。こんなファッションを身につけていることが物を大切にする心、日本が誇るべき「もったいない」の精神を忘れさせてしまうのでは? と危惧しています。いま、世界は環境と人にやさしいサスティナブルな社会基盤づくりに向けて舵をきり始めたのに、使い捨て文化を促進するようなファストファッションは時代とは真逆の価値観しか育てないのではないでしょうか。ファストファッションすべてを否定はしませんが、自分のためにも、もっと視野を広げてファッションを見てほしいのです。

 書店の本棚には、モデルさんやスタイリストさんのファッション本が沢山ならんでいます。この本を書くにあたって私もそれらの多くを読みました。しかしどの本を見ても、あくまでモデルさんやスタイリストさんの持論のみ。そこに書かれたことを自分に置き換えたとして、だれもが参考にできるファッション論だとは思えませんでした。理由として、スタイルがいいモデルさんなら着るだけでかっこよく服が着こなせるし、スタイリストさんはモデルさん相手に、苦労せずに理想的なスタイリングができるからです。モデルさん本やスタイリストさん本はあくまでひとつのモデルパターン。例えるなら、マネキン人形が服を着ている状態をまとめただけ。そこには服を着る心は感じられませんでした。
 本書で私が書きたいのは、自分の外側を意識しただけのきれいな服の着かたではなく、着る人の内側をちゃんと意識した服の着かた。着る心を育てたいのです。そして人生のさまざまなシーンで成功するために知っていてほしい戦術・戦略を持った服の着かたを語っていきたい。

 ファッションとは時代の流れとともに流動的であいまいなもの。とてもひとことでは語れるものではありませんが、それでも言いたいこと、知ってほしいことがたくさんあります。これまでどっぷりファッションに浸かってきた人生で得た情報や身につけた感性、そしてコミュニケーション心理学で学んだ知識を活かして私なりのファッション論を広く、とくにこれからの時代を担って行く若い人たちに発信したい。そう、思ってこの本を書いていきたいと思います。

 就活のブラックスーツ、そしてリゾート地で着るようなクールビズスタイルをよしとしているあなた。
自分の魅力や、人と違うセールスポイントをアピールしなければならない場にこれらの服をほんとうにふさわしいですか?


2014年7月14日月曜日

ヴァージン・アトランティック航空×ヴィヴィアン・ウエストウッド 新作ユニフォームのコンセプトは「サスティナビリティ」

英国ヴァージン・アトランティック航空(Virgin Atlantic Airways)が、
30周年を迎えるにあたり、ヴィヴィアン・ウエストウッドとのコラボによる
新しいユニフォームを制作。今年7月に新ユニフォームがお披露目されました。

新作のユニフォームの特徴は、美しいカラーリングとサスティナビリティ。
素材にはペットボトルをリユースし、ナノ加工を施したポリエステル繊維が使われています。この素材は耐久性が高く、型くずれなどを起こしにくいそう。

女性の客室乗務員用のデザインは、
ヴィヴィアンが90年代に発表した「ベッティーナ・ジャケット」からインスパイアされたスーツ。
ジャケットはバストラインにプリーツがほどこされ、ウエストがシェイプした女性らしいシルエットに。
スカートは前から見るとシンプルなのに、後ろ姿はダーツとダブルプリーツでとてもセクシーという、ひとひねり加えたデザイン。
同社を象徴する鮮やかな「ヴァージン・レッド」が採用され、トータルなイメージはヴィヴィアンらしいフェミニンなスタイルになっています。
40年代のフランスのクチュールデザインを彷彿とさせるカッティングが美しいダブルのドレープコートもあり、こちらもとってもエレガント。

ちなみに、赤い制服と言えば、ヴァージン・アトランティック航空を傘下に置く
ヴァージングループの会長であるサー・リチャード・ブランソン氏(2000年にナイトの称号を賜っています)には、おもしろいエピソードが。
2010年にF1レースに参戦したサー・ブランソン。同じく参戦していたエアアジア・グループのCEOであるフェルナンデス氏と、ランキングでどちらが上位になるか賭けをしたそう。その賭けに敗れたペナルティとして、サー・ブランソンは昨年の5月にエアアジアのフライトに客室乗務員として一日搭乗。エアアジアの女性客室乗務員の真っ赤な制服に身を包み、ばっちりメイクまで施して! これはイベント化されたのか、マスコミの前で生着替え&メイクをしたみたいです。ネットで検索すると、ノリノリのサー・ブランソンの動画や画像が見つかりますよ(笑)。結果的にいいプロモーションになったのではないでしょうか。

余談はさておき、次はメンズのユニフォームの話を。
男性客室乗務員用は、名門紳士服テーラーが軒を連ねるストリート「サヴィル・ロウ」をイメージしたというボルドーのオックスフォード織りウールを使ったスリーピース・スーツ。
とてもシャープかつ洗練された仕上がりになっています。
英国紳士風のジェントルマンが機内でサービスしてくれるなんて、女性客にとってはうれしい限りですね。

グッズ類では、ヴァージン・アトランティック航空のアイコンである手書きの羽がデザインされたバッグやヴィヴィアンのブランドの「アワーグラスヒール」をアップデートしたシューズも。
客室乗務員用のほか、パイロットやグランドホステス用など合わせて22種類の新作ユニフォームは9月1日からの登場になるそうです。

ヴィヴィアン・ウエストウッドと言えば、2月にラフォーレ原宿に「ヴィヴィアン・ウエストウッド アングロマニア」が国内初の旗艦店をオープン。
ファッションアイテム以外にホームウエアやクッションなどの生活雑貨も取り扱っています。コーヒー豆の袋をリユースしたトートバッグや靴下などを縫い合わせたぬいぐるみ「ソックア・アニマル」など、ヴァージン・アトランティックのユニフォーム同様にサスティナブルなポリシーが感じられるラインナップとなっています。

ヴィヴィアン・ウエストウッドは、東日本大震災のとき、フェイスブックを通じて日本への義援金を募ったり、直筆のメッセージやチャリティTシャツの販売などで復興支援のサポートをしてくれました。


2014-15秋冬のコレクションで環境保護を意識したという深いグリーンを多用するなど、かつては「パンクの女王」と言われたヴィヴィアンも、最近では良識のあるセレブとしての生き方をセレクトしているようです。

2014年6月25日水曜日

〜私を成長させてくれたハイブランド〜

ナポレオンのこんな言葉をご存知でしょうか?
「人はまとった制服のしもべとなる」。
身につける物がどれだけ人に心理的な影響を及ぼすかということを
端的に言った名言ではないでしょうか。

私は人生のさまざまなシーンで、この言葉が当てはまるような体験してきました。
ファッションの仕事を始めたばかりの頃は、
憧れの女性上司のファッションを真似ることで自分に自信が持てると思ってました。

そんな若かりし頃、ひとつのハイブランドとの出会いがありました。
きっかけは初めての海外出張。
レイデザイン研究所で仕事を始めてから半年後に
ミラノ・パリ・ニューヨークにリサーチに出かけたときのことです。
憧れのミラノをリサーチしているとき、あるショップの前で雷に打たれたような衝撃を受けました。
そのブランドは、ジョルジョ・アルマーニ。
一流ファッションの聖地・ミラノにおいてもひときわオーラを放つアルマーニは、
私の感性を刺激し、新しい世界へと導いてくれたのです。
「この感動を持って帰らねば!」と思った私でした。
その出張の際に持っていった5万円ほどを全てはたいてバッグを購入。
(今からおよそ25年前の5万円と言えば、かなり大金!)
そして、まだ、出張は始まったばかりだったというのに、お財布はカラに。
同行していた上司には、お金を借りるハメになりましたが、
私は大満足!でした。

翌年も海外出張でミラノに行く機会があり、そのときはスーツを購入。
24、5歳の私がアルマーニの直営店でスーツを買うなんて、
かなり背伸びをしたかもしれません。
でも、前回のブログに書いたように当時はキャリアが1〜2年だったにも関わらず、
クライアントのさまざまなニーズに応えて結果をだすべく奮闘していた時代。
私は日々、自分を大きく見せるために必死でした。
そして、アルマーニのスーツの威光は私に大きなパワーを与えてくれたのです。
ハイブランドのスーツの説得力はクライアントに対してはもちろん、
何より、私自身にもいい暗示をかけることができたと思います。

今となって分かったことですが
20代で着るハイブランドは、その価値が2倍にも3倍にもなります。
まず、服に合わせようとして無意識に背筋が伸びて、見ための印象にも変化が。
そして、服自体が持つオーラが、若さゆえの自信の無さを隠してくれるのです。
いわば “鎧”なのです。
だから、20代や30代でキャリアップを目指している人や大事なプレゼンテーションを抱えている人は、ぜひハイブランドの洋服を1着、手に入れてみてください。
きっとファッションとあなたが良い化学反応を起こして、新しい自分を導いてくれるはずです。

アルマーニのスーツは私にとって素晴らしいビジネスパートナーでしたが、
実は、ひとつ失敗談もあるのです。
20代のころ、ベネトンの創業者であるルチアーノ・ベネトン氏が来日され、
ご縁があって私が京都・大阪のリサーチとサンプリングをすることになりました。
世界のセレブをアテンドするのですから、
とうぜん私は勝負服のアルマーニのスーツを着て一行をお迎え。
が、そのとき同行していたルチアーノの妹・ジュリアーナ(ベネトンのデザイナー)からひと言。
「若いあなたにアルマーニはよくない! ケンゾーのような若々しい服を着なさい」。
たしかに、そのとき一緒に来日していたジュリアーナのお嬢さんは(私と同年代)、
上から下までカラフルなケンゾー・ファッションでした。
後で聞くと、イタリアでアルマーニのスーツは
「官公庁などのお堅い仕事につく年配の女性が着る」というイメージがあるという話でした。
後から思えば彼らがアルマーニに対して持つイメージや、ベネトンのファッション性などをもっとよく検討しておけば、よかったのです。

ファッションとは時に頼もしい道具であるし、

使い方次第で、意図しない自分を演出してしまうツールにもなると、
この体験で痛感しました。
今となってはいい教訓になった出来事でした。

「人はまとった制服のしもべとなる」。
部下を育てるのにナポレオンは1つ上の階級の制服を与えたそうです。
だからこそ私はみなさん、とくに若い人には
シーンごとに目的意識を持って服を選んでほしいと思います。
ときには、自分には身分不相応だと思えるようなハイブランドにも挑戦してほしい。


素敵に輝きたい、明日の服選び、ちょっと頑張ってみませんか?

2014年6月11日水曜日

高田敏代のファッション・プロフィール ~OLからレイデザイン研究所へ~

さて、今回からしばらくは私がファッションを生業とするようになったいきさつについてお話してみようかと思います。いわば、私の自己紹介ですね。
おつきあいいただければ、うれしいです。

私の社会人としての第一歩は京都の総合商社でOLとして就職しました。
配属されたのは浴衣を扱う部署。ちょうど、そのころ職場では「20歳の着物キャンペーン」の企画の真っ最中。(20歳前後の女性が着たい着物(浴衣)に特化したプローモションです)上司が提案していた着物を見た私は思わず「こんなん、誰が着はるの?」とひと言。
ちょうどターゲット層と同年代だったこともあり「@参考になれば…」
という気持ちからの発言でしたが、上司はご立腹。
(翌日から部署で総スカンを喰らってしまいました)
今にして思えば、入社間もない、いわばド素人の私が上司の企画を上から目線で否定したのですから当然といえば当然ですが。
「じゃあ、どんなのだったら着たくなるんだ!?」という上司の怒りの問いに、私の回答は「大正浪漫風のアンティークな着物」。
「じゃあ、プレゼンしてみろ!」という流れになり、翌日からイメージシートを作るべく資料集めに奔走することに。今みたいにインターネットでカンタンに資料が集められる時代と違ったので書店や図書館巡りをして、それはもう大変でした。
なんとか資料を集めて「さあ!どうだ!」とばかりに意気揚々と上司に提出。
「70歳のおばあさんが着る着物みたいやな」と鼻であしらわれて、この話はおしまい。
もう、がっかりなんてものではありませんでした。

企画として成立しなかった私の初プレゼン。
……ですが、資料集めやコンセプトを考えることに、大変さよりも楽しさを実感した私。
「これを仕事にしたい!」と思い、さっそく行動に移した私はファッションの専門学校に入学。
そして、昼は商社のOL、夜は「レイデザイン研究所」の研究生として学ぶ、ワーキングスタディの日々がスタートしたのでした。

「レイデザイン事務所」では、さまざまなことを学びました。
はじめはデザイナーを目指しましたがイラストもパターンも苦手で、挫折。ショーウィンドーのディスプレイ・デコレーターにも興味を持ったものの、ディスプレイにつきもののテグスを上手に扱えずに、これまた断念。コピーライティングの授業で成績はいつもクラスのトップクラスでしたが、そこで「コピーライターになろう」とは思いませんでした。
ただ、自分は手先よりも頭と口を使う仕事が向いていることを自覚。
行動しては挫折……を繰り返すことで、進むべき道が少しずつ見え始めたのです。

「レイデザイン研究所」での3年が過ぎたころ、
代表の河合玲先生が
「3年も学んだのだから、商品開発スタッフとして仕事をしてみないか」と言ってくださったのです。(レイデザイン研究所は専門学校だけでなく、商品開発・企画などの会社でもありました)
それが、私のファッションのプロとしてのキャリアのはじまり。

スタッフになって間もなく、先輩スタッフが次々と退職され、
気がつけば商品開発のプロとして、独りクライアントと向き合ってた私。先輩からは「クライアントには経験豊富であるように振る舞いなさい」と言われ、無我夢中の日々でした。
そのとき、会社は私のことを「高田は30代で元商社というキャリア豊富なスタッフ」と紹介していたのですから、その重圧たるや生半可ではありませんでした。

当時のことを振り返ると、よくやってこれたなと思うこともあります。
若さが持つエネルギー、仕事に対する情熱や好奇心、何よりファッションが好きだという思いが後押しをしてくれたのでしょう。

そして、もうひとつの要素は、根っからの挑戦者だという私の性分。
私は新しいことや一見無謀とも思える課題に挑戦するのが好きなのです。好きこそ物の上手なれ。
とはよく言ったもので、じぶんの実力よりも少し上を目指して取り組んできたことで今のキャリアが築けたと思います。

私にとってファッションの仕事は言うなれば、未来(未知)への飽くなき挑戦なのでしょう。
挑戦する前はどれだけ「怖い!」と思っても、トライしてみれば必ず何かを得られます。
そして、さらに前へと進むための扉も開くのです。
だから、皆さんも仕事でも試験でも恋愛でも、何かに挑戦しなければならなくなったら、前へ進むためのチケットが得られたと思ってトライしてみてください。
できれば、遊園地のジェットコースターを楽しんでいるような怖くて楽しい気持ちを持って。

最後に、
商社のOLだったときの「20歳のきものキャンペーン」で苦渋を飲んだエピソードの後日談を。
その2年後、大正浪漫をコンセプトにした若者向け着物ブランドを会社が発表し、これが若い世代にウケて一大ブームに。
専門紙に「着物にファッションの感覚を取り入れた画期的なムーブメント」と高く評価されたのです。くだんの上司からも「お前の企画はスゴかったんだな」とお褒めの言葉もいただきました。
その上司とは現在でも連絡を取り合う仲になり、ときどきは仕事の相談のされることも(笑)。
ほんとうに、人生に無駄なことってひとつも無いような気がします。
たとえ、そのときは挫折に思えたことでも……。

2014年5月21日水曜日

パリ&ロンドン 視察レポートその 8 「Collete(コレット)」

業界人が注視する唯一無二の老舗セレクトショップ「Collete(コレット)」。

Collete(コレット)」は世界最先端のモードの聖地・パリで 
最も有名なセレクトショップ。今年で 17 周年を迎える老舗で、
 つねに世界のファッション業界から熱い視線が注がれています。
 ショーウインドーや店内のディスプレイを見るだけで最先端トレンドが分かる、
と言われています。
私が訪れたときも店内にいるお客のほとんどが業界人という印象を受けました。 
とくに、パリコレ期間中などは多彩なブランドの注目アイテムが並ぶため、
 実に3000人近い集客があるというから驚き。

ショップはルーブル美術館にほど近いサントノレ通りにあります。
 エルメス、ランバン、ジバンシーなど一流メゾンが並ぶなか、
 いつも人でにぎわっているのがコレット。 
オーナーが「お店とは雑誌のようなもの」と言うだけあり、
 つねに最新のモードやカルチャーが集約された店内はファッショニスタには、かなり刺激的。
 加えて、コレットのモットーは「Always getting better 常により良く」だそうで、
 ショーウインドウなどのディスプレイや商品ラインナップは1週間ごとに変わるとか。 
ディスプレイを彩るのは若手のフォトグラファーやグラフィックアーティストの作品。 
店内はモードだけでなくアートも楽しめる空間になっています。

世界で初めて、シャネルやエルメスなどのハイブランドのセレクトを可能にしたのが
コレットだそうです。毎シーズン15ブランドのみをセレクトしています。
服はハイブランド中心のセレクトなので、価格はかなりお高め。

どちらかと言うとトレンド色は薄く、ブルジョワジー向けのラインナップという印象を受けました。
ブランドとのダブルネームのコレット限定品もあります。

今年1月には、ミキモトとハローキティがコラボした
ゴージャスなジュエリーコレクションをコレットで発表。
高いものでパールのネックレス約2900万円、
手軽なものでシルバーとパールのバングル約5万円などがお披露目され、日本に先駆けてコレットで先行販売されました。


地下にはウォーターバーがあり、カフェでスイーツを楽しむこともできます。

1 階は雑誌や CD、インテリア小物、スニーカーなどのギャラリースペース、

2 階は何十体ものマネキンが並べられ、専属のスタイリストが定期的にコーディネイトして 
いるので必見です。

2012 年はオープン15周年を記念して、さまざまなイベントを開催。
 ショーウインドウには、25人のアーティストがボトルデザインを手がけた
クラランスの香水「オーディナミザント」が展示されました。 
これらは展示修了後、オークションで販売され、売上金は子どもたちのために活動する女性に 
クラランスが毎年贈る「ファム・ディナミザント賞」の支援金として寄付されたそうです。 
また、パリコレ後にパリのチュイルリー公園で「コレット・カーニバル」を開催。 
100ブランド以上のブースが並ぶおしゃれの祭典をパリジェンヌたちは楽しんだとか。

住所 : 213, Rue Saint-Honore, 75001, PARIS URL:http://www.colette.fr/
電話 :+33(0)1 55 35 33 99
営業時間 : 11:00-19:00

休業日 : 日・祝
アクセス:Tuileries (メトロ1号線)から徒歩約3


2014年5月7日水曜日

パリ&ロンドン 視察レポートその 7 「Merci(メルシー)」

一流メゾンが賛同。“エシカル消費” で時代の先を行くセレクトショップ 「Merci(メルシー)」。


パリでおしゃれなセレクトショップといえば、
真っ先に上げられたのが「コレット」でした。
ここ数年、その「コレット」を追随しているのが 2009 年にオープンした「メルシー」。 
新進クリエイターのショップが並ぶ北マレ地区の中心にあります。

「merci メルシー」は日本語で「ありがとう」。
高級子供服「 Bonpoint ( ボンポワン )」の設立者、
Marie France ( マリー・フランス ) と Bernard Cohen ( ベルナール・コ-エン ) 夫妻が
「ボンポワン」を売却後、“自分たちに出来ること”、
つまり社会貢献をコンセプトに 3 年半の歳月をかけて考えてオープンさせました。
 ショップ立ち上げのきっかけは「ボンポワン」のアトリエがあったマダカスカルの
貧困地域を見たときの衝撃だったそうです。 
メルシーの収益の一部はマダガスカルでの教育・発展を支援する基金
「le fonds de dotation merci」に寄付されます。 
これまでに、創業者コーエン夫妻による寄付と合わせて 
20 万ユーロ(約 2,800 万円)を超える資金が提供されているそうです。
 メルシーではショップを維持する必要経費を除いた売上金がすべて寄付されているとか。

売上から恵まれない子供達に寄付する「エシカル消費」というショップスタイルに
 Saint Laurent ( サンローラン ) 、Stella Mc Cartney ( ステラ マッカートニー ) 、
 香水の ANNICK GOUTAL ( アニック グタール ) 、 
フラワーの Christian Tortu ( クリスチャン トルチュ ) といった名だたるメゾンが賛同。
 マージンを控えた割安価格で商品が提供され、メルシーのユニークな品揃えが実現しました。

メルシーの商品セレクトには「ふつうであれば出会う機会のないオブジェやお客様を ひとつ屋根の下に集わせること」だとか。
 ヴィンテージ家具から最先端のアイテム、
ファッションのニューブランドから
すでに有名なコレクションが同じ空間に並んでいるのを見ると、なるほどと納得。

メルシーで買い物をすることによって私たち消費者も 
間接的に社会貢献できるシステムは、とてもステキだと思います。

赤いフィアットが置かれた中庭から入るショップの総面積は 1500 m²で、
 地下・1階・2階の3層で構成されています。
 吹き抜けで開放感たっぷりのエントランスフロアは、注目アイテムが期間限定で並ぶスペースに。
 私が訪れたときは「旅」がテーマのアイテムがセレクトされていました。
 1階にはそのほか、クリエイターブランドのファッションアイテムがズラリ。
 2階はインテリアやオブジェ、地下はキッチン・日用雑貨などがあります。
サンローランなどのハイブランドからベーシックでお手軽な価格のアイテムが 混在しながらもフランスらしいセンスでまとまっている点は、さすが。

2階には素材開発から手掛けたという雨や水に対応したウエアや雑貨が展開されていたのも ユニークだなと思いました。
また、国内ブランドに限らず、おしゃれでクリエイティブなものは 海外からも集められているメルシー。
ここ最近のパリでの日本ブームを受けてか、日本のプロダクト製品も充実。 
亀の子たわしに始まり、南部鉄の急須、ツバメノートや鯛のモチーフがアイコンの
東京の老舗石鹸メーカー「玉の肌石鹸」のウエルカムソープなどなど。
なかでも、おしゃれでカラフル、バリエーションが「mt」のマスキングテープも メルシーのヒット商品だとか。

天井まで空間を占拠する古本に囲まれたアンニュイでパリ的な空間のなか、
 穏やかな時間が過ごせる「Used Book Café」も素敵です。
カジュアルな食事をするなら地下の「Cantine Merci」へ。
有機野菜を使ったスープやサラダ、シャルキュトリーなどのヘルシーなフードが楽しめます。

カフェのメニューには南部鉄の急須でサーブされる日本茶もありました。

2014年4月21日月曜日

パリ&ロンドン 視察レポートその 6 「Monoprix(モノプリ)」

フランスのエスプリ漂う高級スーパーの代表格「Monoprix(モノプリ)」。

「Monoprix(モノプリ)」はフランスで最もメジャーなスーパーで創業は 1932 年。 パリ市内に50店舗以上、フランスの有名な観光地のそばなどにも数多く展開しています。 高級志向の商品ラインナップが特徴。

Monoprix はグループ企業であり、 消費者のニーズに合わせて多彩なスタイルの店舗を展開。 代表的なショップは次の4つ。

○Monoprix(モノプリ) 食料品だけでなく衣料や生活雑貨、キッチン用品、コスメ、レジャー用品などが揃う 総合スーパー。グループの店舗の中でも売り場面積の広さを誇るパリジェンヌ御用達の店。

○MONOP’(モノップ) 2005年に登場したコンビニ的なお店。Chatlet ( シャトレ ) 駅や La Defense ( ラ・デファンス ) 駅など利 用客の多い駅の構内にもあります。Monoprix よりも営業時間が長めですが、日本のコンビニのように24時 間営業という訳ではなく、多くの店舗は深夜0時まで営業。

○Dailymonop(デイリーモノップ) テイクアウト専門の店舗。おしゃれで広々としたイートイン・スペースもあります。 惣菜、サンドウィッチ、スープ、デザートなど 200 種類を超える デリ商品の豊富なバリエーションが魅力。

○beauty monop’ ( ビューティーモノップ ) 2005年末にオープンした美と健康がテーマのショップ。オーガニック製品も充実。

他にも... ○Le Resto (Monop Store・ル・レスト ) Monoprix が展開するオシャレなカフェ・レストラン。モノプリらしく、健康志向のヘルシーな ランチメニューなどが手軽に楽しめます。

モノプリはプライベートブランドも幅広く展開。 食料品では「モノプリ・グルメ」というシリーズがあり、 ジャム、ハム、ペースト、紅茶、チョコレートやクッキーなどあらゆる食品が。 プライベートブランドなので価格もリーズナブルなため、地元のみならず 観光客がお土産としてGETしていく姿も多いとか。

衣料品は日本のブランドで言えば、ユニクロや無印良品のようなイメージでしょうか。 良質でベーシックなアイテムが中心のようです。 売場を見ると基本カラーは白・ベージュ・ピンク・黒という印象でした。 毎シーズンさまざまなクリエイターとコラボしたコレクションを発表していることから、 ファッションブランドとしての地位が確立されているのでしょう。

モノプリはエコ問題への意識が高さも特徴的。 食品から衣料品まで、オーガニックな素材を使用したBIO商品が揃います。 ふつう、オーガニック製品は他の商品に比べて割高なことが多いのですが、 モノプリの製品は比較的リーズナブルな価格設定に。 この点からもBIO製品に対するモノプリの積極的な姿勢がうかがえます。 エコと言えば、日本でも人気が高いのが、モノプリのオリジナルエコバッグ。 素材はペットボトルのリサイクルだとか。 フランスでは1ユーロ程度で買えますが、日本で買うと 600 円以上します。

最後に豆知識。
パリの老舗デパートでは 「Galaries Lafayette ( ギャラリー・ラファイエット )」が有名ですが、モノプリはこの巨大企業の傘下。

そのため、ギャラリー・ラファイエットの食料品売場などでモノプリの商品を 見かけることがあります。

2014年4月9日水曜日

パリ&ロンドン 視察レポートその 5 「TATI( タチ )」

フランスのメガ激安ショップと言えば、 「TATI( タチ)」。
フランスで有名な激安ショップといえば、ずばり「TATI( タチ)) でしょう。 化粧品から日常雑貨、衣料品、靴までなんでも揃っていて驚くほど安い! なかでも、こちらで人気のアイテムが「ウエディングドレス」! 他の店と同じ商品が90ユーロ程度から買えるとあって、 ふだんはタチを利用しない女の子もウエディングドレスだけは ここに探しに来ることもあるようです。

その人気を受けてか、近年は数量限定のウエディング・コレクションを発表。 昨年は人気スタイリスト、ウィリアム・カルニモラ氏のデザインで、 ドレスの価格は299ユーロから999ユーロだったとか。

お店のアイコンはピンクのギンガムチェックのファサードで、同じプリントのショッピング袋も とにかく可愛い! 激安店でもセンスがいい点はさすがフランス。 ただ、店内に並んでいる服の素材や縫製のクオリティは「お値段なり」ですが。

「タチ」の創業は 1948 年。 戦後、社会が貧しかった時代に「低所得者に夢を」というコンセプトで、 チュニジア系ユダヤ人が工場から売れ残りの在庫を大量買い付けをし、 安く販売することからスタートしたとか。 確かに物価の高いパリでは驚く安さ。 今でも庶民の味方、貧乏人の救世主という役割を立派に果たしているのでしょう。 ただ、「安かろ
う・悪かろう」のイメージが定着しており、 中流以上の層からは軽蔑の対象ともなっているのが現実。 そのショップイメージを逆手に取り、セレブの中には
「タチ」で買った掘り出しものを素敵に着こなして 「これ、実はタチなのよ!」と自分のセンスの良さをアピールする人もいるとか。

元々は衣料が中心でしたが、 今では日用品・生活雑貨全般から貴金属や宝石までを取り扱っています。 ほかのスーパーでも取扱いがある石鹸やシャンプーなども激安のため、
「タチには不良品を卸しているのか?」という噂が出るほど。 ただ、食器類などは「デザインさえ気にしなければ...」というテイストですが。

多くの商品は「タチブランド」ではないものが多いのですが、 ここで買うとなぜか「タチブランド」と錯覚させられてしまう人が多いようです。 タチの存在感がなせる「タチ・マジック」といったところでしょうか。 参考までにファッションアイテムの価格帯は、

ジャケット•コートで20ユーロ、 ワンピース・ジーンズ・セーターは、10ユーロ、 ブラジャーは6ユーロ、ショーツは単品で3ユーロという感じでした。

2014年3月19日水曜日

パリ&ロンドン 視察レポートその 4 「PRIMARK(プライマーク)」

英国の「しまむら」的存在、PRIMARK(プライマーク)。

プライマークはイギリスで人気のファストファッションブランド。 ウェアはもちろん、シューズ、バッグ、日用雑貨まで揃います。 いわば英国版「しまむら」。アメリカで言えば「フォーエバー21」。

1969 年アイルランドのダブリンにて最初のショップがオープン。 アイルランドでの成功を経て、70 年代にイギリスに進出。 90 年代までには両国に約 60 のショップを構えるまでに成長しました。 拠点をイギリスに移し、2000 年代以降はスペイン、ドイツ、オランダなど欧州各国に進出。 今では欧州で 250 以上の店舗を展開する人気ブランドになっています。 日本にはまだ上陸していないのが残念。
オックスフォード・ストリートに旗艦店をオープンしたのが 2007 年。
店内は、いつ行ってもセール中のような大賑わいだそうです。

こちらのショップは 1階にレディスウエア、ランジェリー、ホームウエア、靴下類など。 2階にメンズ、キッズ、ファッショングッズ、インテリア関連など。

このお店では、ほとんどのアイテムが£10ぐらい。 レディス・メンズともにスーツの上着が£30ですが、 これがプライマークの上限金額のようです。 Y シャツは£5ぐらいで、特筆すべきは、ネクタイが£1で買えるところ!

革靴が£11、帽子や手袋など小物が£1~2、靴が£6~18、  ジーンズが£15、シャツが£3~6といった感じ。 その他、ちょっとおしゃれなレディスのブラウスやジャケットも£5~10で買えます。 キッズファッションはほぼ£6以内。

リーズナブルに買える分、生地がペラペラであったり、 とても品質がい
いとは言えませんが、 トレンド・アイテムをワンシーズンだけ楽しみたい場合にはぴったり。 すぐに着られなくなるキッズアイテムが安く手に入るのも魅力です。

日曜日の夕方ともなると店内はかなり混雑するようです。 レジの前にはお客さんが常に30人近く並んでいる場合も珍しくないとか。 今回、ロンドンの物価の高さを痛感した私にとってもプライマークの人気は頷けます。

プライマークの店内には目のつくところに 「私たちは常にプライマークの製品を生産している工場の労働者の労働環境の改善を試みています。」といったスローガン。 プライマークの製品はすべて海外(インド、中国、ベトナム、バングラデッシュ、トルコなど)で生産され ているのですが、これら海外の工場で働く人々の権利を尊重しているという 企業の姿勢をアピールしているようです。 また、労働者の権利・生活環境の向上、女性の権利の向上などのために、 具体的にどのようなことをやっているかもオープンにしています。 プライマークの企業理念に
「従業員の権利を保証し、尊重することが、会社が成長を続けるための鍵」があり、 それをつねにユーザーにもアピールしている点が興味深いな、と思いました。

●RRIMARK Oxford street ( プライマーク オックスフォード・ストリート ) 住所:499 Oxford Stree, London, W1C 2QQ URL:http://www.primark.co.uk/ 電話:020 7495 0420

営業時間:8:30 ~ 22:00、土曜 8:30 ~ 21:00、日曜 12:00 ~ 18:00 アクセス:Central Line・Marble Arch 駅から徒歩約5分