2016年7月5日火曜日

「ファッションコミュニケーション」新刊発売

今までのブログが、「ファッションコミュニケーション」という本になりました。
 
ファッションコミュニケーション
髙田敏代[]

https://www.amazon.co.jp/ファッションコミュニケーション-魅せる服-髙田-敏代/dp/4862492673

ファッションディレクターが語る、人生の様々なシーンで成功するために知っておきたい、戦術戦略を持った服の着方。幸福を引き寄せる着こなしのスキル。なりたい自分になれる装いのポイントを多彩な視点から解説。

主要目次
1章 ファッションってなに
 服を着るということ/ファッションで夢は叶う!/
2章 滑らかなコミュニケーションのために
 わずか数秒で決まる人間関係/ファッションで自分をプレゼンする/
3章 成功に導くファッション
 ビジネススーツは”/大切なプレゼンは勝負服で/
4章 五感とプラスワンを駆使する
 第六感でコミュニケーション/五感を駆使したコミュニケーション/
5章 美人をあきらめていませんか
 美人はほんとうに得か/美人になる裏ワザは色のトリック/
6章 着る勉強をしてきましたか
 「三つ子の魂」が成長のカギ/ドレスコードで大人の仲間入り/ファッションの3SS/
7章 色で変わるコミュニケーション
 色と脳は仲がいい/あなたのパーソナルカラーは?/マインドカラーとチャクラ/
8章 コンプレックスとファッションコーディネーション 「人は見た目が9割」と言いますが
 あなたの劣等感は幻かもしれません/人の目をごまかすことは、とっても簡単/
9章 ミニマルに生きると、すべてが身軽になる
 「持たない主義」を選択した人々/ミニマルライフで価値観を再確認
  /ファッションの世界のミニマリズム/
10章 ファッションコミュニケーションでハッピーライフ!
 おしゃれを意識する習慣を身につけましょう/自分探しとファストファッション/
 
参考文献/ファッション関連年表


たかだ・としよ … 1958年京都生まれ。祖父は清水焼三代目眞清水藏六。短大卒業後繊維商社に就職。OLをしながら、レイデザイン研究所の夜学でファッションマーケティングなどを学ぶ。同所でファッションコンサルタント専門職の勤務を経て、1986年有限会社スタイリングオフィスコアを設立して独立。独自のマーケティング手法で、企業のファッション商品企画開発に携わる。また、百貨店を始め企業の人材育成に取り組み、現在は大学の講師も務める。(財)日本色彩研究所指導者認定、東京商工会議所カラーコーディネーター1級、生涯学習開発財団認定コーチ資格など、様々な資格を持つ。

2016年4月13日水曜日

ファッションからのメッセージ

●ファッションからのメッセージ

 躍動的なファッションができるときは精神面も健全であると考えられます。以下は私の体験談。仕事でストレスが重なっていたとき私は無意識のうちに3日間、同じ服で仕事に行っていました。入浴をしていなかった訳ではなく、朝、服のコーディネートを考える気力がわかなかったのです。化粧をする気もせず、髪の毛は無造作にひとまとめにしていました。そんな日が3日続いたとき、ふと鏡の中の自分を見て、その生気のなさにびっくり。初めて自分の内面の危うさを自覚することができました。じぶんが変だと意識できた時点で立ち直ることができましたが。
 私の体験も踏まえた上で述べるのですが、ファッションはストレスのバロメーターに成りえます。服のコーディネートやヘアメイクが均一したパターンから抜け出せなくなっているときはストレスのサインだと疑ってみてください。
 変化の無いファッションは内面の危機管理にとって重要なだけでなく、コミュニケーションをする相手にとっても、ときとして有り難くないメッセージを発信してしまうことがあります。たとえば、恋人や夫などの身近なパートナーに対して同じジャージウエア姿しか見せないとか、特別な記念日にも地味なファッションしかしない場合、相手に「あなたに会うことは私の重要事項ではありません」と伝えてしまう恐れがあります。「心を許している相手だから、大丈夫」がいつも通用するとは限りません。ファッションに少し気を遣ってみることで「あなたに会えてうれしいから、私なりにおしゃれしました」と、非言語のメッセージを発信することもできるのです。メッセージを受け取った相手もイヤな気はしないはずです。「親しき仲にも礼儀あり」ならぬ「親しき仲にもおしゃれあり」です。ふだんのファッションを見直すだけでまわりの世界がいままでよりもっと心地いい世界に変貌するとしたら? ファッションを最大限に有効活用して有意義な時間を作ることができるのが、ファッション・コミュニケーションなのです。
 ファッション・コミュニケーションは人対人ばかりに有効ではありません。プライベートライフを快適にするツールとしても有効です。学校や職場から帰宅して、再び外出する予定がなければ着替えをするはず。おそらく、リラックスできる部屋着でしょう。では、夜、就寝する際にはどうでしょう。部屋着とパジャマは同じという人は、意外に多いのです。
 オムロン ヘルスケアとワコールが2013年3月18日の「春の睡眠の日」に向けて行った「パジャマと眠りに関する共同実験」があります。対象者は国内在住の20〜40代で、ふだんはパジャマに着替えずに就寝する男女30名(男性10名・女性20名)。彼らがパジャマに着替えることで眠りにどのような変化があるかを調査しました。結果を見ると……

〈寝つきにかかった時間〉
・パジャマを着なかったとき  平均47分
・パジャマを着たとき  平均38分

〈夜中の目覚め回数〉
・パジャマを着なかったとき  平均3.54回
・パジャマを着たとき  平均3.01回

 この実験から見ると、パジャマを着ることで眠りにいい影響を与えられることがわかります。眠りと深い関係があるのが自律神経で、自律神経には交感神経と副交感神経があります。交感神経は昼の行動を助けてくれるもの。夜、リラックスした状態や眠りにつくときの働くのが副交感神経。交感神経から副交感神経に切り替わるときには少し時間がかかるのですが、パジャマに着替えるなど眠る前のお約束となる行動を起こすことでスムーズな切り替えが促されるそうです。この眠りにつく前の習慣を「スリープセレモニー(入眠儀式)」とも言います。心地よい眠りの儀式としてパジャマに着替える効果は、前にも解説した「アンカリング」でもあり、先ほどの習慣化ともつながってきます。
 さて、多くの人は「人間のココロとは、とかく複雑だ」と考えがちですが、じぶんが望む方向にココロを動かすことが意外にたやすくもあるということが、この本を読むことでお分かりいただけたでしょうか。そして、ココロのスイッチを切り換えサポートをしてくれるのが服のパワーであり、人の心理面に働きかけるファッション・コミュニケーションなのです。ココロ、命を輝かせる服があることがわかれば、人生はもっと楽しくなるはずです。「じぶん探し」に疲れて人生の迷子になりそうなときは、ぜひ服のパワーを借りてみてください。「こんなことで!?」と拍子抜けするぐらい、目の前の壁がなくなるような体験ができるはずです。

2016年4月6日水曜日

じぶんを育てる服と出会う

●じぶんを育てる服と出会う

 ある心理学の実験についてご紹介しましょう。対象は3才から6才の子ども約40人。彼らに3次元コピー機を「どんなモノでもコピーできるんだよ」と説明し、実際に見本のオモチャのコピーをして見せたそうです。それを見た子どもたちの反応が面白い。コピーのおもちゃに大興奮した彼らは、オリジナルのおもちゃよりコピーに対して関心を示す傾向にあったとか。ところが、次に同じ子どもたちに「きみたちの大事なおもちゃを同じようにコピーしてあげよう」といったとき、ほとんどの子どもがそれを拒否するという結果がでたそうです。オリジナルだからこそ、価値がある。愛着があるし、じぶんの好みにしっくりくる。手になじむ……。この実験から、人はオリジナルのものを手にしたときに得られる高揚感を好むということがわかります。
 ファッションについても同じことがいえるのではないでしょうか。好きなブランドのアイテムを手にしたときの幸福感は格別です。もし、それがコピー商品であったら? デザイン的な相違に差がなかったとしてもオリジナルが人に与える心理的作用は望めない。「コピー商品をさも本物のように偽って他人に見せる」というような使いかたをすれば、卑屈な体験にもなるはずです。
 一流ブランド品にはデザイナーや職人のこだわりやプライドという背景があります。生地や皮の色、厚さ、縫製の仕方など隅ずみまで計算され、唯一無二のものだという作り手の自信が存在意義を高めているのです。そこで提案したいのが「じぶんに自信がないときほど、一流ブランドの力を借りてもいい」。つまり「虎の威を借る」のです。それを実行しているのが液晶画面の向こう側にいる芸能人や有名人。彼らは競争の激しい世界で少しでもじぶんの存在価値を高めてライバルに勝つために、より上質のブランドを身につけて力を借りているのです。この方法は、かなり有効。ブランドによる仮のパワーを得てじぶんを大きく見せる。最初は仮のパワーでも、やがてはじぶんの栄養になり、じぶんを変化させるきっかけ作りにもなるはず。だから、大切な会合などがある際は少し背伸びをしてハイブランドのスーツなどを用意してみることをお勧めします。その服を着たじぶんを鏡で見たときの気持ちをじっくりと見つめてみてください。背筋がシャキッと伸びるのか、少し畏怖する気持ちがあるのか、やっとこの服が着られるようになったことへの感慨か……。いずれにしても、いままで経験したことのない気持ちなのではないでしょうか。それは、人生の新しい1ページが開かれた証でもあるのです。私自身、アルマーニやジル・サンダーなどのハイブランドのパワーに何度も助けてもらい、育ててもらいました。じぶんを育ててくれる服選びのポイントは「いまのじぶんに似合う服」ではなく「目標とするじぶんに似合う服」にすることです。最後に、ナポレオンの有名な名言を紹介しておきます。

“人はまとった制服のしもべになる”

2016年3月30日水曜日

じぶん探しとファストファッション

●じぶん探しとファストファッション

 人は失敗すると自己評価が下がり、気分も沈みます。それゆえ失敗を回避しようとするのは心の自然が働きと言えるでしょう。ただし、青年期の人たちに関して言えば失敗は大人になるために通過儀礼であり、推奨すべき体験なのです。 
 青年期、「じぶんはどうやって生きていくのか」「じぶんがほんとうにやりたいことは何か」などを自身に問いかけ、悩むことで自己のアイデンティティーを確立していく心の動きがあります。そのなかで得られた「これこそじぶんが求める人生の目的だ」という実感を「自己同一性=セルフ・アイデンティティー」と言います。つまり、思春期から人は「何のために生まれてきた?」「将来、どんな仕事をしたらいい?」「どうして、友だちのAさんと私はこんなに違うのか?」といったことを考えはじめ、悩むのですが、これは大人になるための通過儀礼のひとつ。
 何のために生きるか」は、心理学や哲学における不変のテーマです。なぜか。じぶんの人生の目的を明確に持っている人はごく僅か。なぜ人という生き物はこれほどじぶん自身のことが分かっていないのでしょうか。
 視点を変えて、ここで「モラトリアム」という心理学用語を紹介しましょう。語源はラテン語の「mora(遅延)」「morari(遅延する)」で、もともとは経済学用語の「支払猶予期間」のことだったとか。心理学者エリク・H・エリクソンが「青年が大人になるまでに必要とする猶予期間」という意味で心理学に導入しました。
 エリクソン自身が生涯、じぶんのアイデンティティーの確立に悩んだことから「モラトリアム」や「自己同一性」の概念を生みだしたと言われています。エリクソンについて少し解説をしておくと、彼は母親が初婚のときに不倫をしてできた子どもだったと言われています。母親が生きている間にエリクソンの出生の真実を告げることはなかったため、母の再婚相手(エリクソンにとっての義理の父親)を本当の父親だと思い続けたエリクソン。父とじぶんがあまりにも似ていないことからじぶんのルーツについて生涯、悩むこととなったそうです。
 エリクソンのような複雑な生いたちは稀なケースだとしても、現代人はつねにじぶん探しをする生き物という印象があります。慶応大学の小此木教授も「本来は青年期だけの、つまりモラトリアム特有の悩みに対して大人になっても答えを探し続けていることが多くなった」と指摘しています。教授の執筆による「モラトリアム人間」なる本の出版は1970年代のことで当時、かなり話題になりました。
 なぜ、大人になりきれない人間が多いのか。いろいろと頭のなかでシミュレーションはするものの実際に行動に移すことが少ないため、現実での経験値が不足しているためではないでしょうか。
 では、なぜ、行動することができないのか。その理由のひとつに「リスクを負いたくない」という恐れが考えられます。リスクを冒して失敗するのを回避したいがため、個の世界にひきこもってしまう人が少なくないのではないでしょうか。
 現代の20~30代は就職氷河期にやっとの思いで就職した世代でもあります。たとえば本心では転職を希望する事態になったとしても、再度大変な思いをして仕事を探さないといけないという恐怖から現状維持に甘んじてしまいがちなのが特徴とも言われます。彼らの多くは競争を好まず、身の丈にあった「ほどほどの幸福」で満足しがち。そんな彼らの選択肢の少なさは、実体験の少なさに起因しているように思えます。これまでの人生のなかで何かに挑戦した経験が少なければ、おのずと成功体験も限られる。成功した達成感や充実感をあまり得た経験がなければ、たった一度の失敗でも心理的ダメージは大きいでしょう。「また、あんな思いをするのはイヤだ……」という思いから、未来への期待よりも現状の平和を維持する道を選んでしまうのかもしれません。
 失敗することはそれほど悪いことではない、ということを若者達に分かりやすく伝えることが今の世の中には必要です。失敗体験を経て人は少しずつ強くなれる。折れにくい心が育めるのです。苦しみを経験するたびにじぶんがどんな人間が少しずつわかっていく。モラトリアムに勇気を持って向き合うことで自己同一性を確立し、大人としての内面の強さが育まれるのです。
 近年、巷で市民権を得ているファストファッション。ファストファッション(fast fashion)とは、トレンドを採り入れた低価格の衣料を短いサイクルで大量生産・販売するファッションブランドやその業態を指した言葉(出典元:ウィキペディア)。早くて安くておいしいファストフードにちなんだ造語で、2000年代半ばころから認知されるようになったとされます。このファストファッションの台頭がファッションと人との関わり方にモラトリアム現象を発生させているのではないか、と考察できないでしょうか。
 かつて日本のファッション業界において製造・流通・販売はそれぞれ独立したものでした。その一連の流れを1社で行うことにより、スピーディーで低コストゆえの低価格商品が販売できるようになったのがファストファッション。バブル崩壊後、デフレが進んだ日本において、まさに時代の申し子のようなファッションでした。「洋服代をできるだけ抑えたい。でも、トレンドも意識したい」という時代のニーズを捉え、近年の急成長になったわけです。
 ファストファッションは、手ごろな価格・気軽なファッションという魅力がある反面、とかく着捨てファッションになりがち。その要因は低価格ゆえの耐久性に欠けた素材・トレンドを反映した一過性のデザインの服、などが挙げられます。
 では、ファストファッションが時代を席捲する前の流行は、どうであったか? いわゆるDCブランドのブームも含めたモード系のファッション。モード(mode)とは、もともとフランス語で流行やファッションを意味する。モード系ファッションとは、コレクションで発表される最新のファッションを指し、特徴はデザイナーやブランドのオリジナリティやクリエイティビティを反映している点。かつてのDCブランドブームの時代において、ファッションとは「いかにヒトと違う装いをするか」がテーマでした。なぜなら、モード系のブランドは、流行を追うのではなく、作りだすことが命題。素材や縫製などにこだわった上質のアイテムはどれも高価格であり、一部の富裕層以外、ファッションに好感度な人間は選択を重ねて購入する必要がありました。欲しい服をある程度、大量購入できるファストファッションとの大きな相違点でしょう。
 ファストファッションとモード系ファッションのどちらを選択するかは、個人のファッションに対する捉え方や費用対効果によって様々なはず。ですが、ファストファッションで満足しているとファッションに対する感性が磨かれることは、まずありません。
 たとえば、ファストフードばかり食べている人間について考えてみてください。お世辞にも健康的とは言えない。もし成長期の子どもであれば栄養も不足しがちです。ファッションでも同じことが言えます。ファストファッションばかりで満足していた場合、おしゃれに関する素地が育まれにくくなり、上質に対する感性も磨かれる機会も無くなります。
 じぶんに似合うファッションを探している間はいわば、ファッション・モラトリアム時代。その期間、ファストファッションはもちろん、多様なファッションを試すという冒険心も必要なのです。ファッションはいろいろなシーンや対面する相手によって変化する必要があります。さまざまな経験を踏まえてこそ「この場面には、このファッションである」というノウハウを得ることが可能となり、その後の選択も容易になるはずです。

 「じぶんはじぶん以外の何者でもない」という意識が何よりも重要です。すべての人は世界にただ一人のユニークな存在であってしかるべき。だれもがすぐ手にできるお手軽ファッションはユニークな存在を「十把一絡げ」の存在として語ってしまうかもしれないということを認識すれば、ファッションと人とのつきあい方は変わっていくはずではないでしょうか。

2016年3月23日水曜日

失敗体験によっておしゃれセンサーが磨かれる

●失敗体験によっておしゃれセンサーが磨かれる

 第2章で「失敗体験もじぶんの引き出しにしまっておく」という項を書きましたが、失敗体験をじぶんの中でうまく咀嚼することは成長につながります。
 かくいう私もたくさんの失敗体験を経てきたひとり。そのうちのエピソードのひとつが、ジャケットの着こなし。少し前までビジネスシーンにおける私の制服はジャケットでした。プレゼンなどの重要な場面はもちろん、気心の知れたクライアントとのちょっとした打ち合わせなどでもジャケットスタイルが定番。それは「相手を尊重し、きちんとした服装でお会いしたいから」という気持ちからの選択でした。それが、ここ数年のうちにちょっとした打ち合わせの場合、ハイブランドのアイテムではあるもののニットスタイルなど、カジュアルテイストの服装で行く機会が増えてきました。ただし、カジュアルではあってもトレンドを押さえていたり、クライアント関連のショップで購入したアイテムであることなど、いくつかのポイントが。すると打ち合わせの際、「今年のトレンドをいち早く押さえていますね」「うちのショップで購入されたアイテムなんですか!」など、会話の幅が広がるようになったのです。ジャケットスタイルのときであれば、必要なビジネス会話をして終わっていたコミュニケーションの幅が広がったわけです。
 ジャケットスタイルに関しては、こんな失敗も。アラサーのときのことです。イタリアから来日したベネトンのデザイナー(社長の妹)のアテンダントをさせていただいたことがありました。私は失礼のないようアルマーニのスーツを着たのですが、それを見た彼女が「あなたの年齢でなんて地味なスタイルをしているの!? イタリアでは50代の公務員の女性がするようなスタイルよ!」と驚かれてしまいました。ベネトンといえば、カラフルな色使いのニットで一世を風靡したブランド。私ももっと色使いなどに気を遣うべきだったな、と後で反省しました。失敗体験が「ジャケットスタイルは万能ではない」と気づかせてくれたのです。ときとしてジャケットは一方通行のコミュニケーションしか生まないことを学びました。そのことに気づいてからは、相手の目線に合わせた服選びができるようになったと思います。たとえば、大学での講座に臨むときは生徒たちの世代のトレンドを考慮した服を選ぶ。すると「先生、今日の服カワイイ!」と生徒との距離が縮まり、「さすが、トレンドを取り入れるのが早い!」と生徒たちに一目置かれるようにもなります。
 失敗談で言えば、ほかにもこんなケースが。気に入って購入したパンツを着て会議に臨んだときのことです。長時間の会議が終わって立ち上がったとき、パンツの後ろがシワシワになってとても恥ずかしい思いをしました。シワになりやすい素材だということに気づいていなかったのです。素材面で言えば、まだあります。購入して初めてのシーズンが終わりクリーニングから帰ってきた服は、もう着る気にならないくらい傷んでいたのです。クリーニングに向かない服だったのですね。機能面で服に裏切られた経験は、多々あります。いえ、服に罪はありません。服選びの際には素材にも気をつければいいのですから。いい勉強になりました。
 失敗体験から服選びのとき気をつけるようになった点はもうひとつ、後ろ姿です。昔、他人から「今日の服はお尻がパツパツですね」と指摘され、恥ずかしい思いをしたことが。以来、クローゼットの近くと玄関先に大きな姿見を置いて、二度三度と全身だけでなく後ろ姿もチェックしています。
 過去の失敗体験をいくつか披露しましたが、これらは私の大切な財産でもあります。失敗を重ねることは何よりいい学習効果を生みます。その積み重ねが、ファッションのセンサーを磨いてくれるのです。ファッション雑誌をたくさんチェックしたり、カラー・コーディネーションを学ぶという勉強もいいですが失敗を恐れずに冒険して、ときには失敗することも大切な勉強ということを意識してみてください。

2016年3月16日水曜日

第10章  ファッション・コミュニケーションでハッピーライフ!

●おしゃれをしない習慣から、する習慣へ

 ここで、あなたが今朝からいまこの時間までに何をしたか、思い出してみてください。起きて洗面を済ませ、朝ごはんを用意して食べ、着替えや化粧を済ませ、家を出て会社が学校に行く‥‥といったところでしょうか。では、これら一連の行動をする際に、あなたは何かを考えていたでしょうか? たとえば、目が覚めたとき「起きてすぐに歯を磨こうか? 顔を洗おうか? トイレに行こうか? 先に着替えようか? 食事の支度にしようか?」などなど。考えてから行動に移したでしょうか? おそらく答えは「ノー」でしょう。なぜか? それは毎日繰り返している習慣を今日もまた繰り返したはずだからです(今日がたまたま休日だった場合は、行動パターンが平日とは違うかもしれませんが)。
 私たちの多くは習慣化された行動によって日々を過ごしています。一度習慣化してしまえば、無意識のうちにそれをこなすことができます。車の運転にしてもしかり。毎日の食事のための料理にしてもしかり。パソコンの操作や仕事に使う機器類の操作にしても同様です。これらを毎日毎日、人に教えてもらったり、取扱説明書と首っ引きで操作したりしていては、非常に効率が悪い。つまり人が生きるうえで習慣化は、かなり重要なキーワードになっているわけです。
 ただし、習慣化にはメリットばかりではありません。脳は一度習慣化したことに関しては、それを変えることを嫌うという傾向にあるとされています。それはいつもと違う行動パターンを選択することは予測不能な結果を引き起こす可能性があるからで、生命維持の観点から危険を回避しようとするからです。私たちが新しいチャレンジをしようとしても重い腰が上がらなかったり、やり始めてもなかなか長続きしない理由のひとつです。
 ここで、話をファッションに戻します。「おしゃれに関心がない人」と他人に感じさせる人の特徴のひとつは「いつも同じファッションをしている」ではないでしょうか。同じスーツに同じネクタイ(違うスーツであっても同じスーツに見えるような着こなし)であったり、10年以上前から流行に関係なく同じようなスタイルをしている、であったり。こういうタイプの方は「おしゃれの枠組が狭い」のだと思います。それは、ファッションに関する知識の狭さでもあり、じぶんに対する認識の不足であり、他者とのコミュニケーション不足であったりと、すべてが狭い世界で生きていると言っても過言ではありません。おしゃれの枠組が狭い人は、その狭い枠組の範囲内でしか人とコミュニケーションできていないはずなので、「じぶんは人付き合いが苦手だ」「なかなか他人に理解されない」など孤独感を感じることが多いのではないでしょうか。こういう人は「おしゃれをしない」「服装に気を遣わない」「流行を知ろうとしない」「他人のアドバイスを聞かない」ことが習慣化されている可能性があります。
 脳科学研究では同じ行動を2〜4週間ぐらい繰り返し続けることで、その行動に移すための神経細胞間をつなぐシナプス(接合部)がつながるため、習慣化が図れると言われています。つまり、今までおしゃれをせずに過ごしてきた人でも約1カ月間、おしゃれを意識して服選びをすることを続ければそれは習慣となり、その後は意識せずとも服装に気を遣うようになるわけです。
 女性の場合、おしゃれな友人に手伝ってもらったり、お気に入りのショップを見つけてショップスタッフの人にアドバイスをしてもらってもいいでしょう。憧れの有名人を徹底的にマネするという方法(ペーシング)もあります。ただ、この場合、じぶんのイメージや体型、年齢が近い人を対象にすることをお勧めします。その方が結果を得られやすいからです。せっかくマネをしても結果が出なければ習慣化せずに挫折してますますファッションと遠ざかってしまいかねず、それでは意味がありません。
 男性には、私の友人である老舗テーラーのオーナーの言葉を贈ります。

“ショップは男性の武器庫である”

 ショップに行けばシーンに応じて必要な武器(服や小物)は、なんでも揃うというわけです。ショップのスタッフに「このシーンにはどんなスタイルで臨めばいいか」を相談すれば必要な物は揃えてくれる。見た目の完璧さはもちろん、プロの助言に基づいているという精神的なサポートが得られたことで万全を期して闘い(ビジネスやデート)に赴けます。補足すると、このフレーズを言った彼はショップには女性と一緒には行かないそうです。あくまで「男性の武器庫」であり、準備をしている姿を見せることで手の内を知られてしまうという危険は冒せないのですね。
 また、男性の中には「おしゃれかどうかを気にするなんて、かっこ悪い」と思っている人もいるかもしれません。確かにじぶんのおしゃれを自慢したり、おしゃれかどうか・ハイブランドを身につけているかどうかを価値基準にするのはかっこ悪い。ここでいうおしゃれとは他人を不快にさせない、もしくは他人とのコミュニケーションをスムーズにするためのツールなのです。そういう意味でもショップスタッフという第三者の意見を参考にした服選びはじぶんを俯瞰から見ることにもなるため、勘違いをしたかっこ悪いおしゃれを避けることができます。ショップスタッフに対し、ざっくばらんに「おしゃれがよくわからないのでコーディネートしてほしい」と言うことは、他者との間の壁をひとつ破ることにもつながります。これら一連の行動によってファッションの枠組が広がるだけでなくじぶんの新しい一面を発見することができる。気がつけばコミュニケーションの枠組も広がっているはずです。

 英語が上達するコツは、ひたすら英語に慣れることだと言われます。家にいるときは英語のニュース放送をひたすら流して無意識に耳に入るようにしたり、膨大な英語の文献を読むなどを続けることで、ある日英語を理解できるようになっている‥‥という体験談をよく耳にします。ファッション・センスの磨き方も同じ。無意識におしゃれを意識した服選びができるようになるまで、しばらく頑張ってみてください。きっと世界の広がりを感じ、高揚感を得られるはずです。

2016年3月9日水曜日

ミニマルな生き方から見えてくるもの

●ミニマルな生き方から見えてくるもの

 「物が捨てられない」「衝動買いがやめられない」という問題を解決するには、どうしたらいいかについて少し考えてみましょう。物が捨てられない理由のひとつとして「もったいない」精神の功罪であるという解説はしました。ただ、もう少し掘り下げて考えてみると、問題はその人自身の生き方と関わっていることがあります。
 じぶんは物が捨てられない・片づけられないと考えている人は、以下の項目について考えてみてください。

  人から頼みごとをされると断れない。
  仕事を優先して、家族や友人とのプライベートな約束を延期してもらうことがある。
  じぶんは忙しすぎると思うが現状を変える方法がわからない。
  人から嫌われるのが怖くて言いなりになってしまう。

どれかに当てはまった人は、ミニマルライフを送る前にひとつの壁を乗り越える必要があるかもしれません。
 シリコンバレーのコンサルティング会社「THIS Inc.」のCEOであるグレッグ・マキューン氏の著書「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする−」(かんき出版)には、次ような記述があります。

 人生も仕事も、クローゼットと同じだ。必要なものと不要なものを区別できなければ、どうでもいいことで埋めつくされてしまう。捨てるしくみをつくらないかぎり、やえることは際限なく積み上がっていくばかりだ。(出典:「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする−」グレッグ・マキューン著(かんき出版))

 マキューン氏は「古い洋服を捨てるのは勇気がいることであり、同じように仕事や人との関わりにおいて場合に応じてノーと言うことは難しい。うまく捨てる(ノーと言える)技術を会得すれば人生はもっとすばらしいものになる」と主張しています。
 つまり、他からのプレッシャーに押し流されているとじぶん自身が見えなくなってしまう。そしてじぶんで選び取る力を失ってしまうというわけです。「なぜ、毎日こんなに忙しいのか?」と不満ばかりが募り、なんの達成感も得られていないのであれば、それは思考停止に陥っているかもしれない。逆を言えば、これら心の問題を改善することができればクローゼットの整理もスムーズに行えるようになるはずです。
 マキューン氏は著書のなかに記している方法論のいくつかを紹介すると、
 ・持っていないと考えてみる。
   服であれば「これを持っていない場合、いくら出して買おうと思うか?」。
   仕事であれば「もしまだこのプロジェクトに参加していなかったら、参加するためにどん
   な犠牲を払えるか?」と考えてみる。
 ・失敗を認める。
   失敗を認めて、進んで損切りをする。必要なときは他人の助けを借りる。失敗は成長への
   ひとつのステップにすぎないと考えれば恥ずかしさも克服できる。
 ・良くするためには何かをつけ加えるのではなく、何かを削ることだと考える。
 ・答えを出すまえに少し時間を置く。
などがあります。
 どれもカンタンに実践できそうです。つまり、私たちは知らず知らずのうちに本質的なことを見失っている。いろいろなしがらみや固定観念にがんじがらめになり、閉塞感を感じているのです。「これを持っていたら……」「これをやっていたら……」と、ありとあらゆる「たら・れば」を考えるあまり、「あれもこれも」と持ちきれないほどの仕事であったり、服を抱えてしまっている。選択する意思の力を失ってしまっているのではないでしょうか。

 何か感じるところがあった人は、クローゼットの整理をはじめてみてください。クローゼットがすっきりシンプルに片づいたとき、心のもやもやも少し晴れてくるかもしれません。

2016年3月2日水曜日

ゆがんだ「もったいない」精神の呪縛

●ゆがんだ「もったいない」精神の呪縛

 いま、じぶんのお財布に現金がいくら入っているか、正確に思い出せますか。お札の枚数だけでなく、小銭が何円まであるかを正確に思い出せる人であれば、いま自宅の冷蔵庫にある食材のストック、洗剤などの身の回り品のストックなども把握しているはず。ムダな衝動買いをすることもないでしょう。ムダな衝動買いをしなければ、家に物があふれるという事態も避けられます。
 (繰り返しになりますが)この本はファッションがテーマの本なので、ここではミニマルライフの実践編として自宅のクローゼットの見直しについて考えていきます。
 まず、じぶんのクローゼットを見渡して、

.最近よく着ている服
.今シーズン、必ず着るであろう服
と、
.今シーズンはもちろん、昨シーズンも着ていない服
.持っていたことを忘れていた服

それぞれの選別をしてみてください。
 そして、できれば、CとDはクローゼットから出していったん、ダンボール箱などに入れて保管します。クローゼットからはみ出していた服の選別も忘れずに。クローゼットが隙間なくいっぱいだったとしても、これで少し空間ができたはずです。
 さて、AとBについてですが見渡したとき、ひと目でどんな服を持っているのかがわかる状態にしておくのが望ましい。クローゼットが広くて同じ空間に収納できるのなら、オーケー。私の場合は、シーズン中に着る服はクローゼットから出してハンガーラックに掛けています。幅120〜150cmぐらいのラックが1本あれば、最大30着は吊るせます。シャツ10着、ニットやスカート・パンツなどで7〜12着、ジャケット3〜5着、コート3着ぐらいでしょうか。この程度だとひと目でワードローブが判別できるので、コーディネートを考えるときもイメージしやすい。また、帰って脱いだ服は湿気を含んでいるため、閉塞したクローゼットにしまうより通気性がいいハンガーラックに掛けておくほうが衣服が呼吸できるので劣化も防げます。
 シーズン中に着るであろう全ワードローブを把握しおけば、買い物のあとに「同じようなのを持ってた…」という残念な失敗が避けられます。また、ショップで欲しい服を見てもワードロープとの組み合わせが可能かどうかがイメージしやすくなるので衝動買いをしなくなります。買い物を減らせば、クローゼットを占拠する服も増えなくなる訳です。
 クローゼットを占拠する魑魅魍魎たるワードローブの選別ができたら、もうひと押し。先ほど箱に分けたCとDです。シーズン中はそのまま箱に入れておくほうが望ましい。着る機会があれば、そのときに箱から出してクローゼットに戻します。もしシーズンが終わるころまで箱から出すことも、思い出すことさえもなければ、それはじぶんにとっては不要な服。そのまま廃棄するかリサイクルに出しましょう。「今年は着なかったけれど、来シーズンは着るかも……」という迷いは禁物です。
 物を捨てるときに感じる「もったいない」。この感情とうまく折り合いをつけることが人生を豊かにするか否かを大きく左右するといっても過言ではありません。というのも、私たちは日々、「埋没費用」=「サンクコスト」問題と向き合い、選択を迫られているからです。
 「サンクコスト」とは「回収不可能な費用」のこと。具体的に言えば「チケットを買ったのに残業で行けなかったコンサート費用」であったり、中止した旅行のキャンセル料などのことです。これらのサンクコストはもったいないものであり、この体験に対して人はマイナスの感情を抱きます。すると、人はサンクコストに対する必要以上の嫌悪感を抱くようになり、避けることにパワーを使うのです。
 サンクコストを回避しようとする人は「せっかくお金を払ったんだから」という理由で今度は時間や経験をムダにするようになります。たとえば、映画館に観に行った映画を上映後すぐにおもしろくないと感じたとしても「高い料金を払ったのだから観て行こう」となり、最後まで観てしまう……。経験がある人は少なくないのでは。でも、これでは時間を有意義に使っているとは言えません。おいしいコーヒーを飲んだり、人と楽しくおしゃべりをしたりする時間を犠牲にしてまで、どうしてつまらない映画を観るために座っているのでしょうか。それは、ひとえにサンクコストである現状を認めたくない=失敗を認めたくない心理的な働きのせい。
 それまでの投資や出費を惜しんでやめるにやめられない状態を「サンクコスト効果」や「コンコルドの誤り」などと言います。「コンコルドの誤り」の由来のエピソードはフランスの超音速旅客機・コンコルド。最新科学の粋を集めた夢の旅客機として開発が進められ、世界的にも注目されましたが、あまりにも膨大な費用とそれに見合うだけの利益が判明。それでも世界的な注目度の高さなどからしばらくは運航を続けていましたがついに苦渋の決断をくだし、2003年運航は終了。これが「サンクコストの誤り」を象徴しすぎるエピソードとして、いまや名称にまでなってしまったのです。
 「コンコルドの誤り」がもたらす危険性を身近な例で考えてみましょう。久し振りに都心のおしゃれなショッピングビルに出かけたときや、郊外のアウトレットモールに遠征したときのことを思い起こしてみてください。「せっかく来たんだから、何か買って帰らないと今日1日を損した気になる……」と、無理やりに何かを買った記憶はありませんか。この場合は、買い物までに費やした時間を惜しむ気持ちや、何も買えなかったこと虚しさを感じたくないとする気持ちなどに囚われて、冷静な判断ができなくなっているわけです。そして、それほど欲しくなかった服や小物であっても、買ってしまうと今度は「捨てるのがもったいない」と、空間や気持ちが物に侵食されてしまい、どんどんミニマルライフから遠ざかることに。
 「もったいない」は日本が誇れる文化であり、いまや世界に通用する言葉にもなっています。とはいえ、「もったいない」の呪縛から抜け出せずに時間や空間、気持ちまでを犠牲にしては本末転倒。それこそ、人生が「もったいない」状態になってしまいます。
 もし、ミニマルライフを目指すのであれば、「サンクコストの誤り」からじぶんを解放する必要があります。そこで、身の回りにためこんだ物を思いきって捨ててしまうのも、ひとつの方法です。荒療治ではありますが、物を捨てる痛みを感じることで次からのムダ買いをやめるきっかけになりそうです。
 「もったいないから捨てない・取っておく」のではなく、「もったいないから必要以上の服・物は買わない(捨てることになる物なら買わない)」に考えかたをシフトチェンジするのです。そうすれば、買うときにじっくりと時間をかけることにもなるであろうし、同じような物を買うような失敗も避けられそうです。
 「捨てることになるような物は買わない」ためにはもうワンステップ、考えかたを変えてみてください。「長く、大切に使える物かどうか」そして「じぶんをハッピーにできるかどうか」です。そうすると自然に上質な物を選ぶようになります。上質な物であればお財布と相談しながら少しずつ、少しずつ、時間をかけて購入するはずです。服であれば、上質でトレンドに左右されない服を選ぶ方向に気持ちのベクトルが向き、自然にミニマルファッションを手に取るようになりそうです。

 ただ、若い人に関して言えば若いうちはいろいろな経験をしたほうがいいと思うので、トレンドを追いかけて楽しむのもいいでしょう。トレンドファッションは長く着るものではないし、経済的なことも考えてファストファッションやプチプラ・ブランドなどを賢く活用して、シーズン終わりには一斉に処分するぐらいのつもりでいいと思います。

2016年2月24日水曜日

ファッションの世界のミニマリズム

●ファッションの世界のミニマリズム

 私はファッションを研究テーマとしているわけですから、次にファッションとミニマリズムの関係について考えていきましょう。ファッションの世界には「ミニマル・ファッション」というジャンルがあります。一説には、ミニマル・ファッションは1990年代に台頭してきたとされ、80年代の華美でゴージャスなデザインの時代を経て、シンプルかつ装飾を削ぎ落としたスタイルへと人々の志向が変化していったというのが流れのようです。
 「ミニマリズムの旗手」という異名を持つデザイナーが、ヘルムート・ラング。彼が80年代後半から提案した最小限のミニマルなでシャープなスタイルが多くのデザイナーに影響を与えることになったようです。ほかの代表的なデザイナーとして名が上がるのが、アルマーニやジル・サンダー、そしてプラダなど。
 また、90年代はファッションのビジネス面での転換期でもありました。ビジネスの世界でのグローバル化を受け、ファッション界でも企業戦略やマーケティングに重きを置くアプローチが展開されるように。より実用性がある、ライフスタイル重視のリアルクローズへのニーズが高まるなか、ユニクロやH&Mなどファストファッションの台頭へとつながっていったのです。
 ただ、ここで強調しておきたいことは、「ミニマル・ファッション」=「ファストファッション」ではないという点。ミニマル・ファッションは、「1点豪華主義」というか、「譲れないこだわりを追求した究極のカタチやデザイン」です。一方のファストファションは「すぐに・いつでも着られるふだん着」。ファストファッションはジャンル分けをするとすれば、究極のふだん着である「ノームコア・ファッション」の一環だと思います。
 たとえば、前述のアルマーニはデザインよりもカッティングを重視したスタイルであり、ジル・サンダーは素材感や品質へのこだわりを昇華させ、完成させたスタイル。プラダは工業用防水ナイロン生地をバッグの素材に採用したというリアルクローズとハイファッションを融合させたスタイル。
 日本のデザイナーでは、ヨージ・ヤマモトやコム・デ・ギャルソンなどがミニマル・ファッションの担い手になるのではないでしょうか。ヨージ・ヤマモトのデザイナーである山本耀司氏は、

“これを崩したらこう服ではないというぎりぎりの服を作っているつもり”
(出典:「ちぐはぐな身体」鷲田清一著)

と語っておられたとか。また、山本氏の言葉には次のようなフレーズもあります。

“一着の服を選ぶってことは生活を選ぶことだから”
(出典:「ちぐはぐな身体」)

 服というものは不思議なものです。人が社会生活を送るうえでのひとつの道具であるはずなのに、それを身につけることによって人の気持ちは変化し、ひいては対人関係にまで影響を及ぼすのです。だからこそ、私たちの多くは(すべてとは言えませんが)、服選びにある程度のパワーも使うし、悩んだりもするのでしょう。
 「とめどなく変化する流行を映しだす服」ではなく、「不変でありながら良い服」を求めるミニマリストたち。変化する時代を追い求めることに時間を費やすのではなく、変わらぬものに寄り添ってじぶんの居場所を確保することを選んでいるのかもしれません。消費という刺激から得られる快感ではなく、静かに内なる自己と向きあう世界を構築するという選択。サントリーのウィスキー「山崎」の広告のコピーのこんな文章を思い出しました。

“何も足さない、何も引かない。
 ありのまま、そのまま。
 この単純な複雑なこと、”
(出典:サントリー シングルモルトウィスキー「山崎」
   1992〜1994年広告より)

2016年2月17日水曜日

ミニマリズムと日本文化


  ミニマリズムと日本文化

 先ほどから解説している「ミニマルライフ」の概念は「ミニマリズム(minimalism)」からきています。「ミニマリズム」とは「完成度を追求するために装飾的趣向を凝らすのではなく、それらを必要最低限まで省略する表現スタイル」だそうです(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より抜粋)。また、「1960年代に音楽・美術の分野で生まれ、ファッションにも導入された」ともあります。美術においては「ミニマル・アート」、音楽においては「ミニマル・ミュージック」、建築においては「ミニマル・アーキテクチャ」、服飾は「ミニマル・ファション」と称されます。
 ミニマリズムのそもそもの起こりは1917年にオランダではじまった芸術におけるムーブメントだったとも言われています。オランダ語で「デ・ステイル」と呼ばれ、意味は「ザ・スタイル(様式)」。必要最低限の色と形によってのみ描かれる抽象芸術であったり、建築デザインを追求するという考えた方でした。本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家とされるモンドリアンが参加して創刊した芸術雑誌「デ・ステイル」。この雑誌が唱えた芸術理論「新造形主義」によって牽引された芸術的ムーブメントにより、ミニマリズムが浸透していったのです。後にイブ・サンローランがモンドリアンの代表作である「赤、黄、青と黒のコンポジション」をそのままモチーフにしたデザインを1965年のコレクションで発表しています。その名も「モンドリアン・ルック」。目にしたことがある人も多いのはないでしょうか。
 パソコンのアップル社のデザイン・コンセプトも基本はミニマリズム。「Keep it Simpe」が一環したフィロソフィーだそうです。アップルのi-phoneのデザインは、まさにミニマルデザインの集大成ともいえます。本体の操作ボタンの少なさ、基本操作のシンプルさはアップル社製品の大きな特徴でもあります。
 アップル社の創始者であるスティーブ・ジョブスも有名なミニマリストのひとり。彼は日本文化の「シンプルさ」をとても好んでいて、禅やわびさびの考えた方がアップル社のミニマムデザインの根底にあったようです。ジョブスの公式伝記本「スティーブ・ジョブス」には、千野弘文氏に禅を学び、出家の相談までしていたことが記されています。この本には次のような記述もあります。

“集中力もシンプルさに対する愛も、「禅によるものだ」とジョブスは言う。禅を通じてジョブスは直感力を研ぎすまし、注意をそらす存在や不要なものを意識から追い出す方法を学び、ミニマリズムに基づく美的感覚を身につけたのだ。”
(出典:「スティーブ・ジョブス」下巻)

 たしかに、日本文化にはミニマリズム的エッセンスがふんだんにあります。わびさび(侘び寂び)の「侘び」とは本来、動詞の「侘ぶ(わぶ)」の名詞形で、本来は「不足した状態・簡素であること」などを表した言葉でしたが、中世ごろに「閑寂な中に美を見いだす」という新しい美意識となり、室町時代の茶の湯文化とむすびついてさらに発展し、広く認知されていったようです。
 「寂び」は動詞「寂ぶ(さぶ)」の名詞形で「時間とともに劣化した状態」の意味から変じて、古びて味わいがある、枯れた様子に感じられる渋さ・趣などを表すようになったようです。たとえば江戸時代の町民の生活において、長屋の一間(プラス台所の土間)に家族数人で暮らし、机といえばちゃぶ台1つ。食事も勉強も団欒も寝るのも、同じ空間で過ごしていた時代、たくさんの物を所有することに人々は関心を持っていなかったと思われます。というのも当時は「損料屋」と言う、いわばレンタルショップがあり、布団や衣類、鍋やかまなどなんでもレンタルできたとか。とうぜん、住まいも賃貸であったことから引越しの際の荷物は着物とわずかの小物ぐらい。そして、着物や履物、桶などの生活道具は壊れれば修理をしてまた使うという、徹底したミニマルライフが江戸の町にはあったのです。

 日本の暮らしの根底には先人から受け継いだミニマリズムがあり、それが日本人の美意識をも育んているとしたら。私たちがたどり着く先がミニマルライフだとしても、自然な流れであり、原点回帰と言えるのではないでしょうか。

2016年2月10日水曜日

ミニマルライフとは

●ミニマルライフとは

 世代のネーミングにも使われた「ミニマルライフ」という言葉は、2015年のいまではトレンド用語として頻繁に耳にするようになりました。テレビや雑誌でも取りあげられることが多くなり、インターネットでも熱く議論が展開されています。
 「ミニマルライフ」とは、カンタンに説明すると「極力、物を持たず、情報も入れすぎず、シンプルに生きる」こと。これを実践する人々は「ミニマリスト」とも呼ばれます。「ミニマリスト」を日本語にすると「最小限主義」。「最少のモノで最大を得る」がコンセプトだとか。
 「ミニマルライフ」に人々が関心を持ち、共感を覚えたきっかけは数年前に一斉を風靡した「断・捨・離」ではないでしょうか。それまでは、次から次へ市場に出てくる新製品の数々を手に入れることに満足していた社会。やがて終わりのない購買競争に疲弊し、溢れたモノたちに家を占拠され、居場所をなくしたことではじめて我にかえった人々が行き着いたのが「断・捨・離」。そこで、じぶん自身にほんとうに必要なモノは何か。じぶんが求めているモノとは何かなど内面と真剣に向き合いはじめたことにより、物質主義に疑問を持つようになった人が増えていったように思われます。
 そして、よりエコであり、よりサスティナブル(第6章参照)へと向かっている時代背景とあいまって「不必要なモノを捨てる」のではなく、「すぐに捨てるモノは手にしない」「廃棄せずに済むように必要かどうか熟慮する」から「ミニマルライフ」へ。
 「ミニマルライフ」は、じぶんの価値観の再確認をさせてくれるライフスタイルです。たとえば、かつて購入した高額のブランドバッグが手元にあったとします。いまは全く使っていないし、使いたいとも思わないとしたら? じぶん価値観が大きく変わっていることに気づくはずです。心理学やカウンセリングなどで、部屋はじぶん自身を映しだす鏡だと言われます。散らかった部屋や物で溢れた部屋に住んでいる人は何かしらの悩みやストレス、心の葛藤などを抱えている場合が多いようです。「散らかった物を片付けはじめても、何を捨てていいのか分からない」という場合は、じぶんにとって何が必要かを選択・決断できない心の状態である可能性があります。そういう人は、往々にして人の意見に迎合してしまいがちだったり、何かを決断するリスクを回避したいのかもしれません。
 「出かけると、ついつい物を買ってしまう」という人であれば、買い物依存症の場合も。衝動買いや大量買いなどをして一時的に気分がよくなってしまう人の部屋は、使わないブランド品や2つや3つの同じ商品などで溢れているケースが多いのです。物を買う行為にしか興味がないため、買った物に対して意識が向けられないため、片づけることもしない。心のどこかで衝動買いをしたことに後ろめたさを感じていると、買ったものを改めて見ることにも嫌悪感を感じてしまうのです。

 買い物依存症に陥る人はストレスや孤独感を抱いている人、自己評価が低い人などがあげられます。なぜか? それは、買い物をするプロセスに原因があるそうです。お店に入ってたくさん並ぶ素敵な品物を見たとき、「この中の何かを手にするんだ!」と思ったときに感じる高揚感、そして「こんなじぶんでも店員さんはていねいに接してくれる」ことで自尊心が満たされる…などで、つかのま「ダメなじぶん」が忘れられる。ついつい必要でもないものやじぶんの使えるお金以上の買い物をしてしまうのです。もし、ミニマルライフに気持ちを切り替えられれば、新しいじぶんと出会えるのではないでしょうか。終わることのないじぶん探しに疲れた人は、ぜひミニマルライフに目を向けてみてほしいものです。

2016年1月27日水曜日

ミニマルに生きると、すべてが身軽になる!

9章 

ミニマルに生きると、すべてが身軽になる!

●「持たない主義」を選択した若者たち

 時代の変化に伴い、人々の価値観はめまぐるしく変わっていきます。時代研究のひとつとして、私たちがよく耳にするのが、世代論。例として、過去の代表的な世代をご紹介します。1940年代中頃以降生まれの「団塊の世代」、1960年ごろ以降の「新人類世代」などは耳にしたことがあるでしょう。1965年ごろ以降は「バブル世代」と呼ばれています。短い周期で5年前後、長くて10年前後でくくられ、それぞれにネーミングが。その時代を端的に捉えたものである世代の名前を見ると、当時の時代背景がなんとなくイメージできます。
 1980年ごろから1988年ごろまでに生まれた人が属する世代の名称はというと、「ミニマル(ミニマム)ライフ世代」だそうです。「ゆとり世代・さとり世代」のひとつ前の世代を指すのですが、少しマイナーな名称かもしれません。

【主な世代の名称とその時期】

1947〜1949年   団塊の世代
1950〜1964年   しらけ世代
1961〜1970年   新人類
1965〜1969年   バブル世代
1970〜1983年   氷河期世代・失われた世代
1971〜1983年   団塊ジュニア
1980〜1988年   ミニマルライフ世代
1987〜2004年   ゆとり世代・さとり世代


 「ミニマルライフ世代」が生まれたのは、昭和末期(※昭和は1989年1月7日まで)。思春期にバブル崩壊、阪神淡路大震災、アメリカ同時多発テロなどを体験したことでリスクを避け、安定志向であるという点が特徴とか。なるべく消費を抑えて将来に備える意識が高い傾向にもあるそうです。確かに彼らが育った時代背景を見ると、物の価値がひと晩でゼロになることもあり、日常はいつ崩れるか分からないということなどを体感したはずです。
 一方、少し前のバブル時代は、この世の春を謳歌していた感があります。ブランドブームなども合わさり、高いブランド品を躊躇なく手にしている人も多く、また土地が高騰しているにもかかわらずマイホームを手にすることが当たり前だった時代。それが終わりを告げる時が来るとは、誰も思っていなかったのではないでしょうか。そして迎えたバブルの終焉が1991年ごろから1993年。追い打ちをかけるように1995年に阪神淡路大震災を目の当たりにしたのです。同じ年の3月には地下鉄サリン事件という未曾有のテロ事件が。豊かで平和だったはずの日本を根底から揺るがす出来事が矢継ぎ早に起こったのですから、人々の価値観が大きく変わったのも無理はありません。
 昭和末期に生まれた「ミニマルライフ世代」は、今やアラサー。世の消費を、そしてトレンドを牽引する層である彼らの考え方が昨今の世相にも反映されてきているように思えます。たとえば、いまどきの若者たちを語るうえで、よく耳にする言葉が「離れ」。「車離れ」「飲酒・飲み会離れ」「野球離れ」「ブランド離れ」……。かつての若者たちの趣味・嗜好の定番から、ことごとく距離を置くようになったと言われるのが、いまの若者たち。市場のデータを見ても、年々、車の生産台数や国内の販売台数は減少し、野球のテレビ中継の視聴率は下がり、ビールや発泡酒の売り上げも伸び悩んでいるのが現状であり、その要因が若者の購買欲の低下とも言われています。
 確かに、かつての若者たちが当たり前のように手にしていたアイテムに対し、いまの若者は食指を動かされないように思えます。そのことからも「経済大国日本」は、ひとつの転換期を迎えていると感じざるを得ません。
  戦後、高度経済成長期をがむしゃらに突っ走り、バブルという経済のピークを迎えたのち、バブル崩壊を経て物質主義からの変換を体験した、日本。これからは、より精神的に成熟した社会を築くべく、新しい1歩を踏み出しているのではないでしょうか。そして、そのシンボル的存在が、「ミニマルライフ世代」が牽引する「ミニマルライフ」なのかもしれません。この章では、「ミニマルライフ」について考察していきたいと思います。

2016年1月20日水曜日

ファッションは内面を映す鏡である

★ファッションは内面を映す鏡である

 躍動的なファッションができるときは精神面も健全であると考えられる。以下に、私の体験談を紹介しておこう。仕事でストレスが重なっていたとき、私は無意識のうちに3日間、同じ服で勤務をしていた。入浴をしていなかった訳ではなく、朝、服のコーディネートを考える気力がわかなかったのである。化粧をする気もせず、髪の毛は無造作にひとまとめにしていた。3日目、鏡の中の自分を見て初めて自分の内面の危うさを自覚することができた。じぶんが変だと意識できた時点で立ち直る事ができたのだが。
 私の体験も踏まえた上で述べるが、ファッションはストレスのバロメーターに成りうる。服のコーディネートやヘアメイクが均一したパターンから抜け出せなくなったときはストレスのサインを疑ってみてもいいだろう。
 変化の無いファッションは内面の危機管理にとって重要なだけでなく、コミュニケーションをする相手にとっても、時として有り難くないメッセージを発信してしまうことがある。たとえば、恋人や夫などの身近なパートナーに対して同じジャージウエア姿しか見せないとか、特別な記念日にも地味なファッションしかしない場合、相手に「あなたに会うことは私の重要事項ではありません」と伝えてしまう恐れがあるのだ。「心を許している相手だから、大丈夫」が通用しないかもしれない。ファッションに少し気を遣ってみることで「あなたに会えてうれしい。私なりにファッションにも気を遣っていますよ」と、非言語のメッセージを発信することができる。そんなメッセージを受け取った相手に対して好印象を与えることが期待できるのだ。「親しき仲にも礼儀あり」なのである。ふだんのファッションも見直すだけでまわりの世界がいままでよりもっと心地いい世界に変貌するかもしれないのである。ファッションを最大限に有効活用して有意義な時間を過ごして欲しいと切に思う。