2016年2月24日水曜日

ファッションの世界のミニマリズム

●ファッションの世界のミニマリズム

 私はファッションを研究テーマとしているわけですから、次にファッションとミニマリズムの関係について考えていきましょう。ファッションの世界には「ミニマル・ファッション」というジャンルがあります。一説には、ミニマル・ファッションは1990年代に台頭してきたとされ、80年代の華美でゴージャスなデザインの時代を経て、シンプルかつ装飾を削ぎ落としたスタイルへと人々の志向が変化していったというのが流れのようです。
 「ミニマリズムの旗手」という異名を持つデザイナーが、ヘルムート・ラング。彼が80年代後半から提案した最小限のミニマルなでシャープなスタイルが多くのデザイナーに影響を与えることになったようです。ほかの代表的なデザイナーとして名が上がるのが、アルマーニやジル・サンダー、そしてプラダなど。
 また、90年代はファッションのビジネス面での転換期でもありました。ビジネスの世界でのグローバル化を受け、ファッション界でも企業戦略やマーケティングに重きを置くアプローチが展開されるように。より実用性がある、ライフスタイル重視のリアルクローズへのニーズが高まるなか、ユニクロやH&Mなどファストファッションの台頭へとつながっていったのです。
 ただ、ここで強調しておきたいことは、「ミニマル・ファッション」=「ファストファッション」ではないという点。ミニマル・ファッションは、「1点豪華主義」というか、「譲れないこだわりを追求した究極のカタチやデザイン」です。一方のファストファションは「すぐに・いつでも着られるふだん着」。ファストファッションはジャンル分けをするとすれば、究極のふだん着である「ノームコア・ファッション」の一環だと思います。
 たとえば、前述のアルマーニはデザインよりもカッティングを重視したスタイルであり、ジル・サンダーは素材感や品質へのこだわりを昇華させ、完成させたスタイル。プラダは工業用防水ナイロン生地をバッグの素材に採用したというリアルクローズとハイファッションを融合させたスタイル。
 日本のデザイナーでは、ヨージ・ヤマモトやコム・デ・ギャルソンなどがミニマル・ファッションの担い手になるのではないでしょうか。ヨージ・ヤマモトのデザイナーである山本耀司氏は、

“これを崩したらこう服ではないというぎりぎりの服を作っているつもり”
(出典:「ちぐはぐな身体」鷲田清一著)

と語っておられたとか。また、山本氏の言葉には次のようなフレーズもあります。

“一着の服を選ぶってことは生活を選ぶことだから”
(出典:「ちぐはぐな身体」)

 服というものは不思議なものです。人が社会生活を送るうえでのひとつの道具であるはずなのに、それを身につけることによって人の気持ちは変化し、ひいては対人関係にまで影響を及ぼすのです。だからこそ、私たちの多くは(すべてとは言えませんが)、服選びにある程度のパワーも使うし、悩んだりもするのでしょう。
 「とめどなく変化する流行を映しだす服」ではなく、「不変でありながら良い服」を求めるミニマリストたち。変化する時代を追い求めることに時間を費やすのではなく、変わらぬものに寄り添ってじぶんの居場所を確保することを選んでいるのかもしれません。消費という刺激から得られる快感ではなく、静かに内なる自己と向きあう世界を構築するという選択。サントリーのウィスキー「山崎」の広告のコピーのこんな文章を思い出しました。

“何も足さない、何も引かない。
 ありのまま、そのまま。
 この単純な複雑なこと、”
(出典:サントリー シングルモルトウィスキー「山崎」
   1992〜1994年広告より)

2016年2月17日水曜日

ミニマリズムと日本文化


  ミニマリズムと日本文化

 先ほどから解説している「ミニマルライフ」の概念は「ミニマリズム(minimalism)」からきています。「ミニマリズム」とは「完成度を追求するために装飾的趣向を凝らすのではなく、それらを必要最低限まで省略する表現スタイル」だそうです(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より抜粋)。また、「1960年代に音楽・美術の分野で生まれ、ファッションにも導入された」ともあります。美術においては「ミニマル・アート」、音楽においては「ミニマル・ミュージック」、建築においては「ミニマル・アーキテクチャ」、服飾は「ミニマル・ファション」と称されます。
 ミニマリズムのそもそもの起こりは1917年にオランダではじまった芸術におけるムーブメントだったとも言われています。オランダ語で「デ・ステイル」と呼ばれ、意味は「ザ・スタイル(様式)」。必要最低限の色と形によってのみ描かれる抽象芸術であったり、建築デザインを追求するという考えた方でした。本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家とされるモンドリアンが参加して創刊した芸術雑誌「デ・ステイル」。この雑誌が唱えた芸術理論「新造形主義」によって牽引された芸術的ムーブメントにより、ミニマリズムが浸透していったのです。後にイブ・サンローランがモンドリアンの代表作である「赤、黄、青と黒のコンポジション」をそのままモチーフにしたデザインを1965年のコレクションで発表しています。その名も「モンドリアン・ルック」。目にしたことがある人も多いのはないでしょうか。
 パソコンのアップル社のデザイン・コンセプトも基本はミニマリズム。「Keep it Simpe」が一環したフィロソフィーだそうです。アップルのi-phoneのデザインは、まさにミニマルデザインの集大成ともいえます。本体の操作ボタンの少なさ、基本操作のシンプルさはアップル社製品の大きな特徴でもあります。
 アップル社の創始者であるスティーブ・ジョブスも有名なミニマリストのひとり。彼は日本文化の「シンプルさ」をとても好んでいて、禅やわびさびの考えた方がアップル社のミニマムデザインの根底にあったようです。ジョブスの公式伝記本「スティーブ・ジョブス」には、千野弘文氏に禅を学び、出家の相談までしていたことが記されています。この本には次のような記述もあります。

“集中力もシンプルさに対する愛も、「禅によるものだ」とジョブスは言う。禅を通じてジョブスは直感力を研ぎすまし、注意をそらす存在や不要なものを意識から追い出す方法を学び、ミニマリズムに基づく美的感覚を身につけたのだ。”
(出典:「スティーブ・ジョブス」下巻)

 たしかに、日本文化にはミニマリズム的エッセンスがふんだんにあります。わびさび(侘び寂び)の「侘び」とは本来、動詞の「侘ぶ(わぶ)」の名詞形で、本来は「不足した状態・簡素であること」などを表した言葉でしたが、中世ごろに「閑寂な中に美を見いだす」という新しい美意識となり、室町時代の茶の湯文化とむすびついてさらに発展し、広く認知されていったようです。
 「寂び」は動詞「寂ぶ(さぶ)」の名詞形で「時間とともに劣化した状態」の意味から変じて、古びて味わいがある、枯れた様子に感じられる渋さ・趣などを表すようになったようです。たとえば江戸時代の町民の生活において、長屋の一間(プラス台所の土間)に家族数人で暮らし、机といえばちゃぶ台1つ。食事も勉強も団欒も寝るのも、同じ空間で過ごしていた時代、たくさんの物を所有することに人々は関心を持っていなかったと思われます。というのも当時は「損料屋」と言う、いわばレンタルショップがあり、布団や衣類、鍋やかまなどなんでもレンタルできたとか。とうぜん、住まいも賃貸であったことから引越しの際の荷物は着物とわずかの小物ぐらい。そして、着物や履物、桶などの生活道具は壊れれば修理をしてまた使うという、徹底したミニマルライフが江戸の町にはあったのです。

 日本の暮らしの根底には先人から受け継いだミニマリズムがあり、それが日本人の美意識をも育んているとしたら。私たちがたどり着く先がミニマルライフだとしても、自然な流れであり、原点回帰と言えるのではないでしょうか。

2016年2月10日水曜日

ミニマルライフとは

●ミニマルライフとは

 世代のネーミングにも使われた「ミニマルライフ」という言葉は、2015年のいまではトレンド用語として頻繁に耳にするようになりました。テレビや雑誌でも取りあげられることが多くなり、インターネットでも熱く議論が展開されています。
 「ミニマルライフ」とは、カンタンに説明すると「極力、物を持たず、情報も入れすぎず、シンプルに生きる」こと。これを実践する人々は「ミニマリスト」とも呼ばれます。「ミニマリスト」を日本語にすると「最小限主義」。「最少のモノで最大を得る」がコンセプトだとか。
 「ミニマルライフ」に人々が関心を持ち、共感を覚えたきっかけは数年前に一斉を風靡した「断・捨・離」ではないでしょうか。それまでは、次から次へ市場に出てくる新製品の数々を手に入れることに満足していた社会。やがて終わりのない購買競争に疲弊し、溢れたモノたちに家を占拠され、居場所をなくしたことではじめて我にかえった人々が行き着いたのが「断・捨・離」。そこで、じぶん自身にほんとうに必要なモノは何か。じぶんが求めているモノとは何かなど内面と真剣に向き合いはじめたことにより、物質主義に疑問を持つようになった人が増えていったように思われます。
 そして、よりエコであり、よりサスティナブル(第6章参照)へと向かっている時代背景とあいまって「不必要なモノを捨てる」のではなく、「すぐに捨てるモノは手にしない」「廃棄せずに済むように必要かどうか熟慮する」から「ミニマルライフ」へ。
 「ミニマルライフ」は、じぶんの価値観の再確認をさせてくれるライフスタイルです。たとえば、かつて購入した高額のブランドバッグが手元にあったとします。いまは全く使っていないし、使いたいとも思わないとしたら? じぶん価値観が大きく変わっていることに気づくはずです。心理学やカウンセリングなどで、部屋はじぶん自身を映しだす鏡だと言われます。散らかった部屋や物で溢れた部屋に住んでいる人は何かしらの悩みやストレス、心の葛藤などを抱えている場合が多いようです。「散らかった物を片付けはじめても、何を捨てていいのか分からない」という場合は、じぶんにとって何が必要かを選択・決断できない心の状態である可能性があります。そういう人は、往々にして人の意見に迎合してしまいがちだったり、何かを決断するリスクを回避したいのかもしれません。
 「出かけると、ついつい物を買ってしまう」という人であれば、買い物依存症の場合も。衝動買いや大量買いなどをして一時的に気分がよくなってしまう人の部屋は、使わないブランド品や2つや3つの同じ商品などで溢れているケースが多いのです。物を買う行為にしか興味がないため、買った物に対して意識が向けられないため、片づけることもしない。心のどこかで衝動買いをしたことに後ろめたさを感じていると、買ったものを改めて見ることにも嫌悪感を感じてしまうのです。

 買い物依存症に陥る人はストレスや孤独感を抱いている人、自己評価が低い人などがあげられます。なぜか? それは、買い物をするプロセスに原因があるそうです。お店に入ってたくさん並ぶ素敵な品物を見たとき、「この中の何かを手にするんだ!」と思ったときに感じる高揚感、そして「こんなじぶんでも店員さんはていねいに接してくれる」ことで自尊心が満たされる…などで、つかのま「ダメなじぶん」が忘れられる。ついつい必要でもないものやじぶんの使えるお金以上の買い物をしてしまうのです。もし、ミニマルライフに気持ちを切り替えられれば、新しいじぶんと出会えるのではないでしょうか。終わることのないじぶん探しに疲れた人は、ぜひミニマルライフに目を向けてみてほしいものです。