2014年11月26日水曜日

服によって形成される社会的人格

服を表す言葉はいろいろあります。
・「身につけるもの」では衣服、制服、私服、平服、洋服、和服。
・「体や心に受けいれる」では服用、服膺、頓服、内服、着服。
・「つき従う」では服従、畏服、敬服、感服、克服、征服。
・「つとめにつく」では服務、服喪、服役。
藤堂明保氏の「漢字語学辞典」によると、「服」は「舟+反」。舟べりは浸水しないよう板が隙間無く打ち付けられています。そして「反」とは「人+又(手の形を表す)」の変形。
「服」は、人を手で引き寄せ、そばにぴったりとくっつけた形。そこから転じて、人のそばにつく=服従の意味ももつようになったようです。
 ナポレオンの有名な名言のひとつは、
 「人はまとった制服のしもべとなる」。
人は着ているものどおりの人間になるという意味。実際、ナポレオンは自分が目をかけた部下には少し上の階級の制服を与えて人材教育をしたそうです。古来より、服には人を動かす効果があるという考えかたが存在していたわけですね。
 心理学で有名な「マズローの法則」または「マズローの欲求5段階説」。
人間の欲求は5つの段階からなり、生きるうえで重要な要素からピラミッド状の階層をなしているというもの。最下層には「生理的欲求」があり、食欲・睡眠欲・性欲などがあげられます。
ひとつ上の階層は「安全の欲求」で住居・衣服・貯金など。次が「社会的欲求」で友情・協同・人間関係。さらに上が「自我の欲求」で他人からの尊敬・評価・昇進。最上層が「自己実現の欲求」で潜在的能力を最大限に発揮して思うがままに動かす。
 低下層の欲求が満たされたとき、人はさらに上の階層の欲求が満たされることを望む……という人間心理を説明した理論です。
 このマズローの法則を人間と衣服の歴史に置き換えてみてはどうでしょう。人間にとって本能的な欲求が満たされたとき、まず「寒さ・暑さ」などから身を守るために何かを身にまとうようになった。その後、自分がどの地域に属しているか、どんな仕事をしているかなどの区別のために服を着用。さらに、シャーマンや支配者たちなどが社会的な階級を示すために、豪華絢爛な服を着るようになった。また、軍服などは人々から尊敬を集める象徴的な意味をもつ……。こんな流れを見ていると、服は人間の欲求に従って進化してきたようにも思えます。

 そうであれば、現代人は潜在的能力が最大限に発揮できるような服を求めている……と、いえるのではないでしょうか。ひとりひとりの能力は十人十色。他人と同じような服を着ていては、あなたの現実は何も変化しないでのは?

2014年11月12日水曜日

服を着るということ

 人は、いつから服を着るようになったか知っていますか? 
およそ7万年前からと言われています。
クロマニヨン人が出現したとされるのが約4万5000年前。
進化の途中にあるころから、ヒトは衣服を身につけるようになったわけです。
とはいえ、これはあくまで仮説。衣服の起源は未だに証明されていません。
なぜか? 衣服が化石として発掘されるケースがほぼ無く、繊維などは時間を経ると朽ち果てて痕跡が残らないからだそうです。
 どうしてヒトが服を着るようになったか。一般的にまず考えられるのは「気候の変化から身を守るため」「社会の中でじぶんの身分を他者に示すため」などです。つまり実用性や機能性からの発展。
 私は、もうひとつ「美しいファッションで着飾る快感」も加えていいと思います。
2005年に国立科学博物館で「縄文VS弥生 ガチンコ対決!!」という特別展が開催されました。そこで紹介された縄文時代の衣服が、実におしゃれ。黒に深紅の模様などをあしらった原色使いの服に、アクセサリーも多数。これら縄文ファッションには、現代と共通する美的感覚が見られます。(もちろん、この衣服もいろいろな考証に基づく推論が前提ではありますが)
 2001年に、北海道恵庭市カリンバ3号遺跡で発掘された縄文時代のシャーマンと思われる4人の人物の調査結果でが報道されました。袖がある衣服を着て、絹のような繊維で作られた布が掛けられて埋葬されていたそうです。副葬品には漆塗りの櫛や頭飾り、耳飾り、腕輪、腰飾り帯などが多数。国内で初めて発見された漆製品も含まれていたそうです(恵庭市ホームページ参照)。
 装飾品には魔除けなどの意味があり、おもにシャーマンなどの役目を持つ人物が身につけていたと思われています。
 弥生時代にはガラスが伝来し、ガラスを使った装飾品も作られるようになったようです。衣服は、前述の「縄文VS弥生」展によると白や淡い色を貴重としたファッションに変化したようです。
 身を守るためだけの服なら、模様をつけたりアクセサリーをつける必要はないはず。シャーマンたちが祭礼のために身につけたものだというにしても、一般のヒトがシャーマンの服を見て「美しい」など、何らかの感情を持ったことでしょう。そして、それはシャーマンたちが自分をプロデュースするうえでも意図したことだったと思うのです。つまり、美を賞賛するという感性が縄文時代にはすでにあったと考えてもいいのでは? 人と衣服の関係は、縄文時代にはすでに確立されていたとも言えます。
 次に、日本人と洋服との歴史をざっと見てみます。
 男性の場合、軍服など制服を採用することから洋装化が始まったようです。1864年の長州征伐において幕府が西洋式の軍服を採用。その後、1871年に軍や官僚の制服を西洋風にすることを定めた天皇の勅諭が発せられ、警官・鉄道員・教師などが制服や洋服を着ることになったようです。
 明治時代に政府は西洋化政策において洋服の着用も奨励したそうですが、一般人には定着しませんでした。日本人がふだん着として洋服を着るようになったきっかけは、太平洋戦争とも言われています。
 井上雅人氏は著書「洋服と日本人」で「日本人に洋服=近代産業社会的な身体をもたらしていったのは、国民服、標準服、もんぺといった軍国主義の産物であった」と述べています。
  また、1923年の関東大震災を契機とする向きもあります。このとき、和服を着ていた女性が逃げ遅れるケースが多かったことで、有事の際にも動きやすい洋装化のスピードが速まったとも。1927年、銀座三越で国内初のファッションショーが開催されたことからも、人々の洋服に対する関心の高まりがうかがえます。
 そして、第二次世界大戦後。

 アメリカをはじめとする欧米文化への憧れ、闇市で売られるアメリカの古着の購入、手入れのしやすさ、動きやすさ、職業婦人の象徴として。などなど……。さまざまな時代の要因が絡まり合い、洋服は広く一般女性に着られるようになり、やがてふだん着として定着していったようです。第二次世界大戦の終戦は1945年9月。一般的な日本人が洋服を着るようになったのがそれ以降とするなら、たかだか、70年ほどのおつきあいになるわけです。
http://www.city.eniwa.hokkaido.jp/www/contents/1370232374613/index.html